霊は私を引き上げ、私を内庭に連れて行った。なんと、主の栄光は神殿に満ちていた。エゼキエル43:5
日曜礼拝、エゼキエル書40章から43章の学び、交わり、この1日を感謝します。神殿のことが詳細に書かれている章ですが、パソコンのソフトを使って、立体的にわかりやすく話しをしてくださり、主のご計画の深さを知り、驚きとともに、御名をほめたたえるばかりです。
主はイスラエルを回復される。
わたしが主であることを知ろう。これが神の栄光。
神殿の中での偶像礼拝。神は神殿から離れていった。
イエス様はオリーブ山に戻り、東から入られる。
何で神様は戻って来られるか。何で神殿があるのか。
神はあまりにも近くにおられる。天と地を造られた主が近くにいたいとおっしゃっておられる。
神殿で神の本質が現れる。
そよ風の吹くころ、彼らは園を歩き回られる神である主の声を聞いた。創世記3:8
神の栄光が宮に満ちた。
ただひれ伏すだけである。
祭司たちは、その雲にさえぎられ、そこに立って仕えることができなかった。主の栄光が主の宮に満ちたからである。第一列王記8:11
イエス様ご自身が神殿となられた。
神の栄光のすべての本質がある。
幕屋は、十字架の中にすべて含まれている。
幕屋のことを学ぶのは素晴らしい。
私たちのからだに天幕を張られた。
私たちの中に住まれる。
新しいエルサレム。そこにいる時、すでに至聖所にいる。
聖霊があることは、神の神殿となっている。
神は私たちとともにいたいと思っている。
偶像は、神よりも大事なものを持ってしまう。
遊女と交わるな。主と交わる。
神の栄光が離れる。
神の聖霊を悲しませてはいけません。あなたがたは、贖いの日のために、聖霊によって証印を押されているのです。
無慈悲、憤り、怒り、叫び、そしりなどを、いっさいの悪意とともに、みな捨て去りなさい。
お互いに親切にし、心の優しい人となり、神がキリストにおいてあなたがたを赦してくださったように、互いに赦し合いなさい。
エペソ4:30〜32
悪意は捨てる。それを持ってしまうと、悪霊が住んでしまう。
悔い改めることをしないならば、わたしは、あなたのところに行って、あなたの燭台をその置かれた所から取りはずしてしまおう。黙示録2:5
ヘマはしてもいい。偶像、妬み、怒りはないか、チェックする。
神は、私たちのうちに住まわせた御霊を、ねたむほどに慕っておられる。
あなたがたのからだは、あなたがたのうちに住まれる、神から受けた聖霊の宮であり、あなたがたは、もはや自分自身のものではないことを、知らないのですか。あなたがたは、代価を払って買い取られたのです。ですから自分のからだをもって、神の栄光を現しなさい。第一コリント
自分のものではない。神のもの。
だからねたむほど愛している。
イエス様の血潮を見る。
御霊のきよめを受ける。
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霊の家に築きあげられなさい。
エゼキエル40章
BC573年、年の初め、その月の10日。
神々しい幻のうちに、私はイスラエルの地へ連れて行かれ、非常に高い山の上に降ろされた。エゼキエル40:2
終わりの日に、
主の家の山は、山々の頂に堅く立ち、
丘々よりもそびえ立ち、
すべての国々がそこに流れて来る。
イザヤ2:2
精密な神の美しさ。
礼拝とはささげるところ。
まずイエス様がささげられた。
祭壇で焼かれた。
(地獄の火)
いけにえがささげられた。
神の国でのいけにえ。
何故いけにえをささげられるのか。
いけにえの実体であったことを思い出すため。
千年間・・・意味、イスラエルが本当の意味を知っていくためである。
新天新地、
新しいエルサレム、神殿はない。
献金は礼拝である。
――主の御告げ――彼らはもう、主の契約の箱について何も言わず、心にも留めず、思い出しもせず、調べもせず、再び作ろうともしない。そのとき、エルサレムは『主の御座』と呼ばれ、万国の民はこの御座、主の名のあるエルサレムに集められ、二度と彼らは悪いかたくなな心のままに歩むことはない。エレミヤ3:16.17