例えば、『叶う』という時と字は、口と十に分解されるので、『口で十回言えば叶うんだ』とか『聴く』は耳と目と心が入っているので、『音としてだけでなく、目で見て、心で感じて、全神経を相手に集中してあらゆる情報を受け取る事』といった具合に、元々の由来がそうかどうかは分かりませんが、自己流に解釈する事で、より言葉の理解が深まったら、役立ったりする事があります。


仏教の念仏で『南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)』があります。昔話とかで、お婆さんが『ナンマイダー』って言ってるアレです。


本来の意味は『阿弥陀仏に帰依します』という意味(ウィキペディア調べ)らしいんです。意訳すると『自分や自己流を捨て、阿弥陀仏を心から信じ、全てを阿弥陀仏にお任せします』というカンジでしょうか。


私は、これをこう勝手に解釈しています。

『目に見えるもの、出会うもの、全ては阿弥陀仏』


阿弥陀仏って、変身できるんです。

色んな姿に変わりながら、自分を救う為に、何度も現れます。

ある時は先生、ある時は友人、ある時は取引先。

場合によっては、自分に嫌がらせをしてくるライバル会社の営業マンとして。


その関わりから、自分に今『必要な事を気づかせて救ってくれる』存在なんです。


ちなみに『南無』とは『全て』という意味に私は解釈しています。


人との問題が発生した際、その人に会うのもイヤになりますよね。

そんな時『南無阿弥陀仏』。


目の前のイヤな人も、私を救いに来た『阿弥陀仏』。

いかにその教えを受け取って、良い関係を築くか、できる限りやってみよう!と取り組みます。


そうすると『イヤな感じ』が和らぎます。

エネルギーがわいてきます。


出来事に良い・悪いはありません。

それを自分がどう解釈するかによって、ストレスにも、学びにもなります。