『昔は水を汲みに行くのは子供の仕事やった』
『川まで歩いていって、帰りは水もあるから重いし、毎日の事やから大変やったわ』

『今は水道の蛇口をひねったら、水が出るやん』
『未だに不思議やなと思うこともあるし、何より有難いわな』

母は平成になっても、そんな事を言っておりました。

冬の寒い日には、スキムミルク(脱脂粉乳)の粉をお湯でといて飲みながら
『終戦後、食べ物がない時期に、アメリカ人から贈られたコレ(脱脂粉乳)があったから、そのお蔭で栄養失調にもならんと生き延びられた』とも。

母と同年代の方の中には
『脱脂粉乳はイヤや』
『そもそも美味しくないし、ニオイは臭いし、戦後のツライ事を思い出すし』
と言われる方が多い中、母は『有難い』と『お蔭様』

 

戦後、日本に入ってきた考え方は『個人主義』。
それまでの滅私奉公といった『全体主義』からの大転換。
で、三世代同居から核家族へ。

そのような中、母は経営者になりました。
まだ、女性経営者が珍しかった時代なので
『女じゃ話にならん。男を出せ』
と言われた事も1回や2回じゃなかったようです。
でも、母は『周囲からどう見られる、言われるではなく、自分がどう行動したら良いか、自分自身で考えて行動』し続けました。
つまり、本来の意味での『個人主義』です。