『貞観政要(じょうかんせいよう)』ってご存知ですか?
徳川家康も愛読していたと言われる、唐の太宗(李世民)が補佐してくれる名臣たちと交わした政治問答集です。
「兄ちゃんも読んでみたら」と弟に薦められて読みました。
その中から一節を紹介します。


太宗が臣下の魏徴(ぎちょう)にたずねた。
「名君と暗君の違いはどこにあるのか?」

魏徴は「名君は広く臣下の進言に耳を傾けますが、暗君はお気に入りの臣下の言葉しか信じない点が異なります」
「『いにしえの賢者は疑問が湧けば庶民に問いかける』と古い詩にもある通りです」

「(伝説上の賢王)聖天子の尭(ぎょう)や舜(しゅん)は四方の門を開け放って、賢者の訪れを歓迎し、広く人々の意見を聴いて、それを政治に活かしました」「よって、その時代は恩恵が庶民に行きわたり、巧言を弄する者たちにも惑わされることはありませんでした」

「一方、秦の2代皇帝 胡亥(こがい)は宮中の奥深くで暮らし、臣下を遠ざけ、宦官(かんがん⇒王宮で身の回りの世話をする去勢された男性)の趙高(ちょうこう)が言うことだけを信じました」「よって、人心が完全に離れてしまうまで、国と政治の乱れに気がつきませんでした」

「梁の武帝もまた、側近だけを信じた結果、将軍が反乱を起こし、王宮を取り囲んでなお、その現実を受け入れない始末でした」

「このような歴史が語っているように、君主が広く臣下の進言に耳を傾ければ、一部の不心得者に目や耳をふさがれる事なく、庶民と国の実態を知ることができるのです

太宗は魏徴の言葉に深くうなずいた。


中国の皇帝は「天子」と言われますので、ある意味「神」と同列のポジション。
そのような絶対権力者が魏徴のような臣下をわざわざ「諫議大夫(天子の過失を諫める役割)」に任命し、耳の痛いことを敢えて聞く機会をとっているというのが、スゴイです。

母も「自分と考え方の違う人を身近に3人置くように、いつも心がけてきた」と言っておりました。年齢やキャリアがあがるごとに「耳の痛いこと」を遠ざけようとしてしまうのが人。自戒しないとダメですね。