【ユーラシア大陸横断した話 前編6】 


早速、何にもない大地。
永遠に続きそう。
なにせ無駄に広い国土。




全部の道路を手入れできるはずがない。
日本の村の農道のような道もあった。
懐かしい、ガタガタのアスファルト。

初夜は、頭蓋骨の微振動が止まらず。
鼓膜も微動しているように感じた。
モスクワまで体がもつかな、、、

ハバロフスクは大きな街。
何もない大地から遠くに、
徐々に街が見えてくる。

車が多くなり、緊張感が出てくる。
大きな街に入る前。
これはモスクワまで毎回感じていた。





幹線道路から脇道に入り、
路面電車の踏切を渡る。
若い女性兵士が何人も歩いている。

学校か寮がある雰囲気。
宿が見つけにくい。
脇道に入るといちだんと悪路になる。

舗装してないことはザラ。
だいたい無作為に建物を建てている。
とにかく見つけにくい。



エントランスは強力なマグネットでロックされている。
これもどこに行っても同じだった。
やはり治安はよくないみたい。

ピンポンもどれかわからない。
電話したら、窓から英語の話せる女性が声を声をかけてくれた。
開けるから上がっといで。って感じ。

受付のおばさんの娘さんだった。
ありがたい。
かあちゃんは英語は話さなかったが優しかった。

翌朝は細身の少し若い神経質な女性が当番だった。
ボクが洗面に忘れた歯ブラシは捨てられていた。
とにかく小まめに掃除と整頓する。

ロシア移動中、2回ブチ切れたが、
最初の相手がこのおばはんだった。
ウラジオストクを出て2日目。
早速のことだった。

いちいち、あーしろこーしろ。
上履きのことやリビングのテーブルのこと。
ボク並みに神経質。

ドアのロックもなかなか開錠しにくく、
何回か手伝ってもらってたら、
いい加減できないのか?
みたいに言われてブチ切れてしまった。

ホントに腹の立つおばはんだった。







街はなかなかキレイで。
いいレストランがあったし。
教会もきれいだった。





海ぐらい大きな川が流れていて、
自前の自転車でさんざんサイクリングを楽しんだ。
夕日がきれい。






気軽に楽しんだが、
ここから先が荒野。
3000〜4000キロ、大きな街がない。

予備のガソリン携行缶。
非常用のチョコやパン、水5L。
ドキドキの旅はここからが本番。

ではまた次回をお楽しみに😁



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