タイトルに挙げた日本中世における自由、平等、平和はgacco『日本中世の自由と平等』講師本郷和人さんのリポート課題であった。
時代を絞ってこのような課題が提示されるのは初めてのことであり、先々、近世、近代、現代の自由、平等、平和を考える基礎になると思うので、わたしの800字の論文を掲載することにした。掲示板を読んでいると、この講座を2万人が受講したようである。仲間が多いと言うことも心強い。
とりあえず、『経営入門』と『俳句』を受講することにした。継続は力になると思うからである。
「日本中世における自由、平等、平和」
中世の自由については網野善彦さんの天皇に使えた道ゆく人々とアジールとの関係のなかで言われている。しかしその自由とは強者の自由であり、多数の弱者にはなじまない自由と言える。中世は所有概念が曖昧であった。つまり所有権の未成熟さが荘園の領有形態に見られたのである。さらに闕所地や当知行の扱い、鎌倉幕府での地頭の権限には所有の不安定さを露わにしている。近世に至り、秀吉が権力を握り始めたころから所有権に関して明確になる。強い公権力のもとでは所有権の明確さは所有の自由を相互承認の形で保障される。中世の自由とは自由を獲得する過程にあったと理解すべきである。
次に平等である。熊谷直実は法然に帰依した。法然が九条兼実に呼ばれ対話する場面に直実が伴をし、階で控える姿ある(法然上人絵伝)。このとき直実は「こんな場所では師匠のお話が聞けない。極楽ではこんな差別がないだろうに」と叫んだと伝わる。仏の前では人は皆、平等であるとの意味を読み取ることができるが、あくまで直実個人の魂の叫びにすぎないと思う。ところがこのような考え方をもつ一向宗は各地で一揆をおこし勢力を拡大する。主従制を根幹とし、天下統一を目指す織田信長は徹底的に一向一揆を叩き、勝利する。ツリー対リゾームの戦いはツリーの勝利に終わり、平等は後退する。まして信仰の主たる対象であった惣村においては地主、作人と下人との身分差は歴然としており、平等意識すら持ちえなかったであろう。
最後に平和である。まず、わが国の人口の変化を見てみたい。
600年 600万人
1600年 1200万人
1700年 2500万人
明治時代 3000万人
600年から1600年にかけては600万人しか増加していない。江戸期に入り2500万人と飛躍的に増加しており、士農工商を問わず、人々は平和のなかで生活を営み、人口を安心して増やせたのではないか。
このように中世から近世への道筋で、惣村では平和を強く願い、自由と平等は兆しがあった程度ではなかったと考える。