吉田兼好の徒然草を読むと、兼好の知識の広さ深さが伝わってくる。情報社会とは言えない平安、鎌倉時代で、あれほど中国、平安、鎌倉の書を理解し知識化していた兼好の能力に絶句するのみ。

 兼好には独自の情報ルートがあり、自ら情報を取得能力にたけ、当時の出版物に触れる能力があったのであろう。

 兼好は歌人として優れた能力を発揮していた。その能力を生かして漢詩にも触れ、自らが目で見、感じたことが、徒然草に豊富に書かれている。

 わたしは、色の道に疎い男は男とは言えない、と断じたところで納得した。

 ところが、兼好は老死は、いつくるかわからない、、名利にうつつを抜かせていると、とんでもはいことになる。

 40歳で死ぬがいい、とまで言い切っている。

 さらに、仏の道に入れと。

 どうも現代に合っていない。

 まして、今年成人式を迎えた若者は、

 「両親に感謝したい」

 「一生懸命頑張ります」

 「大人になった自覚を持ち責任を果たしたい」と。

 わたしは、成人式を迎えたとき、そのような考えは想いもしなかった。

 自分はこの先どう生きていくのはの不安ばかりに包まれていた。

 こんどは、兼好の言いっぷりである。

 現代に徒然草は生きているとしたら、わたしには少し違和感がある。

 仏教、漢詩、和歌、宮廷の様々なことにすら知識がないし、兼好がいいと言ったことにも知識が及ばない。

 凡人も生きることを悩んでいるのであるが、老死はすぐそこまで来ている。

 兼好は医者を友達に持つことがよしと言ったが、労病死とは言わなかった。

 老と病はしをもたらす要因であろう。

 仏の道とは、人に迷惑をかけないで生きることなのか。

 よくわからない。

 知識とは実に恐ろしきものである。

 あの世があるならばあの世に行きたいと思うのだろうが、わたしはあるとは思えない。

 いまを精一杯生きることこそ人間の生命力であろうと思う。

 わたしの祖母は葬式代を残して亡くなった。