ワイド版岩波文庫として2005年4月15日に刊行された。
そうそう、わたしは蔵書にしたいと思った柏井壽さんの『おひとり京都の愉しみ』を図書カードで購入した。柏井さんは光文社新書のベストワンのライターらしく4,5冊京都に関する図書を刊行していた。
ワイド版とは老眼の読者を想定しているのである。わたしは目は地震があったが今年に入り、老眼鏡をかけないと本に向き合う気力がなくなってしまった。
それだけにワイド版はありがたいのである。
さて、本書は夏目漱石さんが、こうすると言って作った本ではない。
三好行雄さんが、自分の価値観で漱石の講演録などを漱石の文明論と分別しまとめたものである。
ここまで整理してもらうと、漱石好きには妙に納得してしまうのである。
本書の冒頭には明治44年11月10日に和歌山で朝日新聞社主催の講演『現代日本の開化』が掲載されている。
この講演の内容を読むのは2度目だが、漱石は講演を聞きに来たならば逃げ出すことは許さない、最後まできちんと聞きなさいと信念をもって話している。そこには漱石の自分の考えに書くことした意思を伝えたいと思う気持ちが沸沸として伝わってくる。
また、漱石の人間観は学び熟慮し、考え抜いた、考えを伝えきりたいと演壇に立った真摯が伝わってくる。
漱石の言いたいことは、明治の現代の開化の中身を説明し、その開化の中身を解き明かし、悩んでいる自己を聴衆の前にさらけ出し、考えてもらいたいとの熱意にあふれる。
漱石は「開化は人間活力の発現の経路である。」とゆるく言い切り、その発現の経路を、二種類あるとみなす。
一つは人間活力を節約して対処する。
もう一つは人間活力を消耗して対処する。
節約するは移動手段の技術(汽車、自動車)、通信手段の技術(電報、電話)を発展させた。
消耗は、漱石は道楽とし、大学を出ても働かず、働いても私的こだわりにのみで生きようと考えている人間の姿を考えている。
さて、問題は明治は何によってもたらされたのかである。
明治は黒船来航アメリカから始まり、植民地主義のイギリス、フランスの外圧によってもたらされたと言える。
維新後は、外国に追いつけとばかり殖産興業、徴兵制と突き進んだ。
それまでの日本は、朝鮮、中国の影響をゆっくり飲み込み消化し自分の国の考え方、慣習を進化させてきた。これは内発的といえる歴史である。
明治維新は外発的な力が強く、内発的になる時間なしで明治44年まで来てしまった、と漱石は断言する。
漱石は、ここで明治維新前の人間と明治維新後の人間の幸せを比較する。
内発的な歴史を歩いてきた人間は故人としても幸せ感をきちんと有していた。外発的な時代を外発がもたらした価値観で生きている人間は、自分がいま幸せかどうかわからないままに生きている。
漱石は「ただ出来るだけ神経衰弱に罹らない程度において、内発的に変化していくが好かろう」というのみである。
若者が迷い、戸惑う今の世の中はまさに日本人が日本人であることを忘れ、ヨーロッパ、アメリカに振り回されてきた結果であると、漱石は言っているような気がした。