本書は1999年4月20日に初版1刷が刊行されている。わたしの本には4月25日第2刷発行とある。
この作品は難解であった。
主人公のすみれ、ぼく、ミュウの生い立ち、才能などを理解するにはわたしの生い立ち、才能などではとても理解不能であるからである。
すみれは20歳を超えたところで初めて恋をする。
相手は女性の人妻のミュウである。
すみれとミュウの出会いは、すみれの親戚の結婚式の会場である。
同席したすみれはミュウと話し、好きになる。
しかも、ミュウの誘いで、ミュウの秘書として働き始める。
すみれは歯科医の娘で28歳まで職業作家の道を保障されている。
ぼくはすみれの大学時代の2歳上の知り合いで、いまは小学校の教師をしている。
つまり、無職のすみれと結婚している事業家ミュウ、小学校の先生をしているぼくとの人間関係が小説を構成しているのである。
ミュウは性欲は薄いが同性愛は受け入れられない女性であり、ぼくはすみれの才能と人間性を愛している。
ミュウとすみれはヨーロッパをビジネス旅行をする。そしてイギリス人と知り合いイギリス人が所有しているギリシアの島の別荘で過ごすことになる。
すみれがその島から消える。
ミュウの連絡でぼくはその島に駆け付ける。
ミュウもぼくもすみれが自死することなど考えていないが、物語が終わってもすみれの生死は不明である。
ぼくがいたからわたしはこの小説を最後まで読むことができた。恋することは悲しいことであると思う。まして同性を愛することは難しいと思う。
スプートニクと言う、なじみやすいが宇宙を飛んだ手が届かない名をもつ恋人を得ることができるのだろうか。
それにしても、村上春樹さんは途轍もない構想力を文章にできる人間である。
しかし、『ノルウェイの森』『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』のときのような涙はでてこなかった。