今日は新宿の大手書店を訪ねた。

 夏休みの高校大学生向けに新潮文庫が平積みされていた。

 どんな作品が陳列されているのか関心があったので、ざっと眺めて見た。

 夏目漱石の『三四郎』が置かれていた。城山三郎の『落日燃ゆ』があった。古典としては『おくの細道』『方丈記』『徒然草』が平積みされていた。

 女性作家は宇野千代の恋愛の随筆のみだった。

 外国作家はドストエフスキー『罪と罰』が存在を主張していた。

 そのほか、谷崎潤一郎の小説が置かれていたが、ほとんどは現代作家のもののようであった。

 わたしが認知できない作家は現代だと思っている。

 それにしても、わたしが認知できる名前が少ないと思った。

 森鷗外、永井荷風、高橋和己、武田泰淳まして白樺派の志賀直哉、武者小路実篤、そして安部公房、石坂洋次郎がない。

 アンドレ・ジッド、トルストイもいない。

 わたしが上記の作家の作品に触れたのは、すでにお亡くなりになっていた方が多かったと思う。

 作家はいまを生き、いまを書くことによって、いまの中にある永遠のテーマを探し出し、残す。

 時代を超えることができた作家の作品はいまも本の形でいまの人々にその存在を訴えることができる。

 いまの書店は売り上げ優先になってきたのではないか。

 本は文化である。

 帰りの電車の中は、スマホの世界である。わたしは本を読む。