5月の晴天。
光り輝く日に出かけた。鎌倉に。
朝の8時台に家を出た。
さすがに、出かける人は少ない。
駅のホームも人はまばら。電車に乗っても座れた。
もってきた藤井邦夫さんの『養生所見廻り同心 神代新吾事件覚』がゆっくり読めた。乗換である。遠い。7,8分かかった。
横須賀線に乗る。大船から横須賀線になるんだ。
大船を過ぎたところで、突然、北鎌倉で降りようかと思い始めた。
北鎌倉でわたしの前で座っていた感じのいい夫婦が立ち上がった。
思わず、降りてしまった。
始めてきた鎌倉は北鎌倉から始まった。
その原体験がわたしを北鎌倉で下したような気がする。
9時30分であった。
上の写真は東慶寺の本堂である。
東慶寺は駆け込み寺として有名である。
この寺に駆け込んだ女性は、1年間はこの寺内で暮らさなければならない。しかも、所持金の多寡で寺での身分暮らしが変わる。
わたしが見たかったのは、寺で亡くなった女性の墓があるのかという確認であった。
それらしい墓はなかった。離縁が整い、第2の人生を歩いた女性が多かったのだろうと思っている。
東慶寺を出て鶴岡八幡宮に向かう道のトンネルである。
ここは旧巨福呂(こふくろ)切通しである。
鎌倉には切通しが七つある。
わたしは洞窟状で残る釈迦堂切通しがたまらなく鎌倉を感じる。
上の写真はバレンシアという名のスペイン料理店である。
あいかわらず、繁盛しているようで、思わず写真を撮ってしまった。
今日は鶴岡八幡宮は素通り。
若宮幕府跡を見た後、たどり着いたのが、日蓮上人辻説法跡。
日蓮は『立正安国論』で元寇を予言したが、わたしは日蓮宗の布教場所として、日本で最初の武家政権のおひざ元を選んだことに、日蓮の先見性を感じる。
さて、本日の目的の場所、琴弾橋である。
鎌倉の大町と言われている場所には、川が流れており、少し歴史を感じさせる雰囲気は残るが、広壮な住宅が広がる場所である。
ここから、緑の山を目指すと、妙本寺の寺院が緑に囲まれて佇んで迎えてくれた。
わたしも日蓮宗なのだが、お寺はすべて同じに見える。
しかし、この妙本寺は「ああ、お寺だ、仏がおわす」と思わずにはいられなかった。
お寺には北条氏に滅亡させられた比企能員(よしかず)一族の墓があった。
比企一族の血族が日蓮の門下に入り、比企一族の敷地内に妙法寺を建立し墓を守り続けたと言われる。
源氏3代は墓を一緒にしていない。比企氏は幸せなのかもしれない。
ここまで約3時間歩いた。お腹がすいた。
ひとりだと、店には入りずらい。どこも大混雑。
パン屋があったので、菓子パンと飲み物を買う。
食べる場所を探そうと、小町小路に迷い込んだのが大失敗。
小路が200%の大混雑。動けない、動かない。
何とか脱け出して、たどり着いたところにベンチあった。
空腹で思わず座り込み、食べ始めた。
正面のビルを見て、びっくり。
「鎌倉警察署」と文字が刻印されているではないか。
気の弱いわたしは道路側に顔を向け座りなおして食事を続けた。
すると、子供連れの家族が、私の横に座り、食事を始めていた。
「さすが、ママ。ウィンナー入れてくれている」
ようやく、行楽地にいる気分になったのである。



