松村美香さんの作品である。当初の書名は「ロロ・ジョングラン(細身の乙女)の歌声」であった。
わたしが読んだのは、上掲タイトルの角川文庫版である。
読みたいと思ったのは、この作品が第一回城山三郎経済小説大賞の受賞作だったからである。城山さんは社会性を基礎に、さまざまな経済小説を世に出した人間である。わたしがビジネスマンになってからよく読ませていただいた。
主要な登場人物の藤堂菜々美、中瀬稔は従兄妹同士、歳田礼子と山本和樹は姉弟。中瀬稔は戸籍上は礼子・和樹姉弟の兄になる。
藤堂菜々美と山本和樹、中瀬稔と歳田礼子はそれぞれ恋人同士。
ストーリーは、新聞記者であった菜々美の従兄妹、稔がインドネシアで死亡し、その死の真実を知りたいと思っていた菜々美がその事実にたどり着くまでの物語である。
このときの菜々美は稔と同じ新聞社に入社し、雑誌部門の編集記者になっていた。
2度に渡りインドネシアへの取材を申し出た菜々美は仕事を利用し、従兄妹の死の真実に行き着くわけだ。2度目の取材は、私的理由を先行させてしまい、和樹をライフルで撃ち負傷させてしまう。もちろん、2度目の取材目的であったインドネシアでの日本企業の利権疑惑、さらにNGOに関しての記事を書くこともできない結果に終わる。
本来、よい小説とは作中人物の人間性をどこまで描写できるか、掘り下げることができるかにかかってくる。
菜々美は、人間の内面を凝視するわけでなく、他人の外貌、自分に対する接し方でその人間を判断してしまう。自分のプライドを傷つけられると、他人であれば無視しようとするし、恋人の和樹であれば、殺してしまおうと考える人間なのである。
まして、稔の死の真相を知りたいのであれば、学生時代になぜ行かなかったのか。
この作品は、新聞社、雑誌部門の企業内部の事情、インドネシアの利権の構造は多少は書かれていたが、はたして経済小説といってよいのか、わたしは納得できなかった。
まして、エピローグでは菜々美は会社を辞め、和樹とまた恋人同士になる。
経済小説も、人間も、いくら掘り下げても、その真の部分にはたどり着きがたいが、この小説には肝心なことが描かれていないのではないかと、城山三郎の名前が冠せられているだけに後味はよくなかった。
わたしは、角川書店は、城山三郎経済小説大賞受賞で、多少経済小説のにおいを付けようと、タイトルを変えたのではないか。
作者は細身の乙女の伝説と稔と礼子の恋とを結び付けて、書きたかったのではないかと、思っているわたしである。
わたしが読んだのは、上掲タイトルの角川文庫版である。
読みたいと思ったのは、この作品が第一回城山三郎経済小説大賞の受賞作だったからである。城山さんは社会性を基礎に、さまざまな経済小説を世に出した人間である。わたしがビジネスマンになってからよく読ませていただいた。
主要な登場人物の藤堂菜々美、中瀬稔は従兄妹同士、歳田礼子と山本和樹は姉弟。中瀬稔は戸籍上は礼子・和樹姉弟の兄になる。
藤堂菜々美と山本和樹、中瀬稔と歳田礼子はそれぞれ恋人同士。
ストーリーは、新聞記者であった菜々美の従兄妹、稔がインドネシアで死亡し、その死の真実を知りたいと思っていた菜々美がその事実にたどり着くまでの物語である。
このときの菜々美は稔と同じ新聞社に入社し、雑誌部門の編集記者になっていた。
2度に渡りインドネシアへの取材を申し出た菜々美は仕事を利用し、従兄妹の死の真実に行き着くわけだ。2度目の取材は、私的理由を先行させてしまい、和樹をライフルで撃ち負傷させてしまう。もちろん、2度目の取材目的であったインドネシアでの日本企業の利権疑惑、さらにNGOに関しての記事を書くこともできない結果に終わる。
本来、よい小説とは作中人物の人間性をどこまで描写できるか、掘り下げることができるかにかかってくる。
菜々美は、人間の内面を凝視するわけでなく、他人の外貌、自分に対する接し方でその人間を判断してしまう。自分のプライドを傷つけられると、他人であれば無視しようとするし、恋人の和樹であれば、殺してしまおうと考える人間なのである。
まして、稔の死の真相を知りたいのであれば、学生時代になぜ行かなかったのか。
この作品は、新聞社、雑誌部門の企業内部の事情、インドネシアの利権の構造は多少は書かれていたが、はたして経済小説といってよいのか、わたしは納得できなかった。
まして、エピローグでは菜々美は会社を辞め、和樹とまた恋人同士になる。
経済小説も、人間も、いくら掘り下げても、その真の部分にはたどり着きがたいが、この小説には肝心なことが描かれていないのではないかと、城山三郎の名前が冠せられているだけに後味はよくなかった。
わたしは、角川書店は、城山三郎経済小説大賞受賞で、多少経済小説のにおいを付けようと、タイトルを変えたのではないか。
作者は細身の乙女の伝説と稔と礼子の恋とを結び付けて、書きたかったのではないかと、思っているわたしである。
