一般俳誌に、編集長がうちの結社の紹介文を、結構長い文量で書いていた。
その俳誌は既に売り切れで、どうしようかと思ったが、編集長自ら記事をコピーして配ってくれた。
その記事の最後、結社の展望を語る部分には、約40年前にわたしが所属していた
吟行グループと、今の句会グループの名(だけ!)が記されているのだが、その両方に参加して今も活動中であるメンバーは、わたしと他に3人のみ。ああ、これは結構露骨に期待されているのだなと感じざるを得ない。
しかし、わたしなどに結社の未来をお願いされても、正直どうかな・・・と思うが。次期主宰の座を狙うほどの野心にあふれているのは4人のうち1人の女性のみ。
(わたしは、そんなことはあり得ないけれど、仮にお願いされても絶対に断る。)
今の主宰がはたして後任候補の育成を本気で考えているのか、それとも自分の代で終わらせるつもりなのか、そういう肝心なビジョンを、運営プロジェクトチームを編成してロードマップを共有することから始めないと、結社に未来など無い。
昨日も、SNSを活用した若手の勧誘、夏雲システムの普及や電子データによる投句などを本気で考えないと、高齢の同人たちが続々と経年退席して、衰退滅亡していくのを座して待つだけだと箴言したところである。
パソコンが使えない方が結構多いから・・・みたいなことを言い訳しているのであれば、それはただ時代の波に乗れないから、もう滅びます宣言と同じである。
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さて、次の吟行はまた動物園。
前回もまあまあの結果ではあったのだが、それを越えていかないと成長はない。
今日はその予習をぼちぼちやっていこう。
北極熊・白熊⇒ポイントは、白熊でなければならない必然性。動物園俳句はどうしても滑稽さとか哀れみを詠みがちだが、わざとらしさが前面に出てしまっては失敗。氷は使えないし、水を合わせるのも陳腐。それでいて、あるある感を付さねばならない。秋のイメージカラーは白なので、白熊は秋のシンボル的に使えると判断した。
①振りかへる北極熊や暮の秋
(できるだけ作意を隠したつもりなのだが、それでも見破る人はいるだろう。)
河馬
雁(がん)
犀(さい)
鰐
錦蛇
陸亀・象亀
レッサーパンダ
耳木菟(みみずく)
コンドル
野間馬
エミュー
尾巻猿
鍋鶴、丹頂鶴、姉羽鶴、尾黒鶴
孔雀
軽鴨、真鴨
笑ひ翡翠
鸛・鴻(こうのとり)
ペンギン
海驢(アシカ)
全部はしんどいので、10句できたら終わり。
意外な句因は現地で拾うべきで、想像など本来邪道だしステレオタイプでつまらないのだが、頭の体操。
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蛇足
う~ん、どうなんだろう。
神輿は夏の季語なので、祭を入れると季重なりになる。神輿+秋祭だとくどい。秋雨とか、秋の季語を使うべき。ただ、秋雨は本来、驟雨という感じが無いので、秋驟雨とすべきだが、そうすると説明的になる。
合羽は人間がかぶるものであって、神輿に雨天時に掛けるものの名称は知らない。
ネットで売ってる商品は「(神輿用)雨カバー」になってた。詩情のない名称。
「神輿合羽」とする力業もなくはないが、それだと神様を人間側に下ろしてくるという意味で礼を欠く。そのあたり、句材に対する敬意を失する句も目立つ。神様やその周辺に対して擬人法を用いるのは御法度だと覚えておく方が良い。
そもそも雨天時は神輿や山車の運行は中止するか、神輿にカバーは掛けても人間は合羽など着ないのが普通。(滑って危ないのと、合羽など着ても結局下半身と内側はびしょびしょになる。)
「雨が降り出して」という前提をまるまる省略してしまうと、句意が伝わらない。これを読者に脳内補完させるのは邪道。その辺が分からないうちは、中級者にはなれない。
ちょっと推敲してみたが、難しい。切り口を変えないと句に成らないと思う。
夏の句なら、 雨粒に神輿カバーを急ぎをり で可。
(「夕立に」の方が分かりやすい半面、季重なり。「秋雨に」は上記の通り、弱くなる。)