5月は忙しかった。O教会の主事就任式・按手礼拝みずがめ座の説教、私にとっては大仕事筋肉であった!!その次の週は飯塚教会総会とその資料作成。5月が過ぎ去ってホッとしている…。

 6/9は草刈りクローバークローバーその次の週が飯塚市の姉妹都市サニーベール(カリフォルニア州)アメリカとの交流で、息子宅にもホームステイする事になっていて、日曜日は教会で証しをしてもらう事になっており、神学生を派遣して頂き、「神学校週間」📚のアピール並びに説教をして頂く事になっている。


 さて今日は『罪人の私をお赦しください』というテーマである。2人は定刻の祈りの時エルサレム神殿で偶然、鉢合わせ爆弾になった。その中の一人はパリサイ人、他の一人は取税人である炎先ずパリサイ人についてであるが、これは英語のホライズン(水平線)と同じ語根であり、水平線で天と海(地)を分けている。高知市桂浜に行った時、天と海を仕切る直線が水平線である事を認識した。パリサイ人は天と地を分けるように、正しい者と、罪人を、その水平線のように分けたのである。つまり線を境にして上が自分たちパリサイ人であり、下が罪人である《*️⃣罪には法律を犯した罪(crime)→これは警察👮のご厄介になる罪で、歴然としている。それに対して(sin)→これは生まれながらにもっている原罪ともいわれるもので、いわば自己チュウの罪、その意味は神と人との関係が破れているハートブレイクまた人と人との関係が破れてハートブレイクしまった状態を指す。これはどれほど深くても、警察👮のご厄介になる必要はサラサラない。教会でいう罪はもちろん後者のsinの方である》。

 その破れた関係性を再び結び合わせることが、教会に託された大きな役割であろうブルーハーツつまりパリサイ人の上から目線👁️👁️による軽蔑!!確かに彼ら(パリサイ人)はよく勉強もしている人で社会的な信頼性もある人達である。

 もう一人の取税人はアム・ハー・アーレッツ(地の民)と呼ばれ、人にけなされながら生活している人達である。当時あたかもローマ帝国の植民地としてユダヤの国(現:イスラエル)は酷使されていたピリピリあの巨大なローマ帝国が1,200年も続いた背後には、膨大な財政赤字キャップをかかえそれを税金で穴埋めしようと、市民に過酷な税金を課すのである。そこで取税人の仕事は一軒一軒回ってユダヤの国民から、税金を取り立てるのがその仕事である。その時税金➕手数料としてますます高く徴収札束するのである。例え貧困家庭からも容赦なく取り立てるのである。しかし取税人は自分が、とんでもない事をしている罪人である事をよく自覚していて、自分の事は自分が一番よく知っているのである。つまり自分がよく見えているのであろう。


 それに対してパリサイ人は生活も豊かできれいな仕事をしている故に、人の痛みがわからないのである。やはりこれは決定的であろう。イエスが十字架につけられる時、我々は涼しい顔して、腕組みしながらその様子を眺めておく事はできないはずである。少なくとも「この私」の罪を代わって負って十字架下さった以上やはり、少しでもあの時の十字架の痛みのせめて💯万分の1ぐらいは共有しなければならない事であろう。

 彼はエルサレム神殿において、まず他の人の罪を挙げて自分と対照させ、そして自分が律法を守って、神の前に正しい生活をしている事を感謝している。

 一方取税人は「神さま罪人の私をお赦しください」と、つまり自分は何もできない憐れな人間ですと意固地になって自分をいじめる人は教会にはよくおられるが、それが美しいのではなくそのままの姿で、つまり「あなた」は「あなた」として「君」は「君」として神によって存在させられていることそのものが尊いのである故に自信をもって歩んで行こう😁  高屋澄夫








🤳上→Ky.に住む私の友達のひ孫かわいい双子チャン

🤳中→飯塚に住む私の孫のバッシュスニーカーキャップ

🤳下→栗の花満開秋が楽しみ…でもウチのじゃない😄

🤳下→東京ナウ〜。目的地は北海道宗谷岬‼️まだまだ