3/24(日)から受難週に入ったイエスがロバの子に乗りエルサレムへ入城されるにあたり、大勢の群衆はしゅろの葉(パームサンデー)を手に取り、また自分が着ている衣服を脱いで道に敷いたりして、大歓迎するのである。当時は衣服は貴重品だったようであり「イエスが十字架につけられる時、くじ引きでイエスの衣服を分けあった」と聖書に記されてあるように偉大な救い主が来てくださるのであるから大切ないっちょうらがダメになっても、惜しく🈚️いのであろう。それから「ホサナ」(→救い給え…)と歓呼の声をあげてイエスのエルサレム入城を大歓迎したのである。
時あたかも過越の祭りであり、ユダヤ人は全世界に散らばっているので、日頃からの生活を切り詰め節約し、いつかは自分達のルーツであるエルサレムを訪れてみたいと幻に描きながら、ついにその思いが実現するのであるそれでも尚、ごく一握りの離散の民しか故郷一時帰省は、果たせないのである
過ぎ越しの祭り(太陽暦で3〜4月)は、神がイスラエルの民(ユダヤ人)をエジプト🇪🇬での奴隷から救い出してくださった事を記念して行われる最大の祭り。しかし今回だけは、それプラスのイエスが十字架につかれる一体どういう風にして十字架につかれるのかせっかく遠い外国から初めてエルサレムを訪れたのだから、一目だけでも自分の目👁️👁️で確かめておきたいものだと、いつもの過ぎ越しの祭りの50倍も60倍もの盛り上がりようである「もしや、このかたこそが救い主ではなかろうか」
しかし彼らが期待している救い主とはローマ帝国の圧政から解放してくれる、相当やり手の政治家をこそ求めているのである。端的にはローマ帝国の圧政とは税金である。ローマ帝国の植民地であるイスラエルは多額な税金&手数料を納めるように強要され苦しめられていたのである。なんとかこの苦しみから逃れる方法はないものだろうか影響力のある強い政治家が現れて一刻も早く我々を救い出してくれないだろうか民衆はその事ばかりを考えていてもしかしたら、我々が思い描いていた通りの人が現れたのかもしれないと情報は錯綜し大変混乱していて、どれが本物なのかもわからない状況である。とにかくボルテージは最強に上がっている。
やがてそのかたが入城して来られたがカッコ良く馬🐴にまたがりさっそうと入城される事をイメージしていたであろが、実際にはロバの子に乗ってであった。カッコイイ、サラブレッド🐎と違い、ロバは体の割には頭が大きく、力持ちであるのだがしょせん駄馬(だば)には違いない確かに「救い主は救い主」で間違いないのであるが、民衆の期待するメシア(救い主)は、少しでもいいから生活が楽になるような、つまり政治を司ってくれる救い主だったのである。その事を解決に導いてくれるかたは、あなたのみであると見込んでいたのである。ところが実際に入城して来られたかたは「救い主は救い主」でも霊的な意味での救い主であった。そこにミスマッチ(喰い違い)が起きてしまったのである。そこで民衆は全くの肩すかしを喰ってしまい、民衆は絶望したのである。その結果今度は打って変わって「十字架につけよ」「十字架につけよ」の声に負かされてしまって、ローマ帝国より総督としてイスラエルへ派遣されたポンテオ・ピラト(政治家)にゆだねられたが、元々ローマ帝国は全くの宗教音痴(…宗教になんの関心も持たない)の国であり「罪」がどうのこうの「救い」がどうのと言ってもわけがわからないのである。元々ローマ帝国は政治力によって小さな都市国家から遂には地中海全域を支配し最大の帝国となる
結局イエスが十字架にかけられるに至ったのは「政治」VS. 「宗教」のせめぎ合いによるものという切り口もあるのだろうか 高屋澄夫
🤳上→サッカー⚽️6年生は、卒業
🤳下→教会でのお誕生会 ◯歳になりました