3/11(月)遠賀川流域にある教会の牧師会が高須教会で行われ、私達も2人で出席し合計7人の出席だった!!北九州バプテスト地方連合の場合は人事の動きは、🈚️い模様である。今年度と同じく無牧師の教会に対しては、説教の支援を従来通り行っていく事になった音符

 申し遅れましたが私の場合は事情によって従来通り飯塚バプテスト教会の⛪️牧師として仕えていく事となった。体力的筋肉なこともさる事ながら、自分の名誉のために固執する(牧師に??びっくり固守しないように…ピリピ人への手紙キリスト讃歌参照)事のないように常に積極的な意味での緊張関係を忘れず「右手に聖書を持って、左手に新聞📰を持って説教しなければならない」とカール・バルトが言ったように、ここでは古いものが端的には聖書を指すが…いつまでも変わらない真理と言いかえてもいいと思うが…、もう一つは日々刻々と変わり続ける世界情勢とのバランスてんびん座をとりながら、それをいかに伝えられるか、牧師とは今更の如く責任感をともなった大変な職務(➡︎一般的には職業)である。


 今の時期は受難節(レント)でイエスは次第にエルサレムに近づいていかれる(エルサレム郊外にあるゴルゴタの丘で十字架十字架にかけられた)。そして私達もイエスの苦しみを尻目にしながら、いったい知らん顔する事ができる人は、やはり厚がおの人であろうか爆笑イエスの苦しみを少しでも共有したいと、教会によってはこの時期に断食お弁当バツレッドをする教会もある。もちろん現代人は仕事があるからそちらがおろそかにならないように対応する事は言うまでもないことであろう。


 そこで主(神)が言われた「衣を裂くセーターのではなく、お前たちの心をハート引き裂け」(ヨエル書2:13)。この言葉こそが“頂門の一針(ちょうもんのいっしん)”!!!!まるでよく決まった言葉であること。それにしても「衣服を裂く」スーツ行為は絶望、😔嘆きアセアセを外面的に現す行為である。人間は外面的な行動によって内面的な思いを現す。まして宗教においては儀式のみがすっかり定着してしまった向きがある!?その行為そのものがすっかり信仰に取って代わった姿になり、その儀式のみを熱心に護りさえすれば「事足れり」と錯覚

を覚える事は私自身よくある事である。

 しかし儀式というものはいつしか形骸化してしまい、中身が抜け落ちてしまって形だけがすっかりそのまま残ってしまう事がある。ちょうどぶどう酒🍇赤ワインを作る時に、収穫したぶどうを樽の中へ入れてそれを素足で踏んで、約1週間ぐらい静かにして暗い部屋(ワイナリー爆笑)に寝かしておく。その後ぶどうの皮だけが浮いているのでそれはカスとして網で救って捨てるものであるが、まさにぶどうの皮に相当するものが外面的な儀式となるものであり、大切なぶどう酒赤ワインは、そっちのけであった!!事に早めに気が付かないといけない事である。

 確かに教会も社会を構成している。12月になったらクリスマス🧑‍🎄🎄やれ春になったら復活祭と、イベントを消化する事が目的ではない。それに流されないように「神の求めるいけにえは打ち砕かれた霊。打ち砕かれ悔いる心を神よ、あなたは侮られません」(新共同訳詩篇51:19)。イエスは十字架の絶望の😞一番どん底で私達を待っておられる。私達が嘆き、苦しみ、落ち込んでいる時にこそ、イエスは一番近い所におられるのである。反対にパウロが傲慢になり私は「第三の天にまで引き上げられた」その直後「肉体のトゲ」の話しである具体的にはパウロが、目👁️の病気とか、てんかん説がある(コリントの信徒への手紙ニ12章)。しかしイエスは、その「病」を直接は癒してあげる事はないであろ〜!?!?と。  こちらのほうがむしろショックは深いであろう。しかしそこでこそ本当の神を知り、神を知るという事は自分を知った、パウロの話しは沢山あるので、次の機会にして話を預言者ヨエルに戻したい!!


 ヨエルは神の意思として単に衣服👚を裂く、と言ったうわべの行為だけではなく「心を引き裂け」!!!!と命令している。私達もこの時期にせめて心を引き裂くとは、どういう事なのかを考え、心のうちに温め続けながら歩んで行きたい。  高屋澄夫






🤳上➡︎サラダ丼爆笑➕缶コーラ

貨幣単位はポンド・シリング

🤳中➡︎イギリス🇬🇧の象徴ビッグベン

🤳下➡︎ウェストミンスター寺院

全てなま写真{emoji:カメラ}