今年の誕生日バースデーケーキチョコが来ると私は76歳になるので牧師も、もうそろそろ潮時かなと思い、後任いて座を探していた!!すると経験豊かな女性の牧師を紹介していただき、臨時総会で決議して、招聘状を送り、受諾書までいただいていたのに、その後、文書にて健康上の理由により、取り下げになった!!飯塚教会としても、それを受け、慌てて信徒会を招集し「私ども2人の牧師辞任願い」取り下げを、動議として主旨説明する事となり私どもとしても、「それなら最初から辞任願いなど出さなければよかった…」となり、いい歳して恥ずかしい思いである!!


今日は恥アセアセwのかきついでに私の小さな証しをします。私は西南学院大学神学専攻科1983年の卒業である。卒業近くになっても私の赴任する教会はなく、やはり御心(神の思い)ではなかったのだろうと一人で悶々として祈っていたお願いそして当時「新約神学」「ギリシャ語」を教えておられたN先生の研究室を尋ねた。教授の研究室を尋ねるとはよほどの事である。内容が神学の高尚な議論炎をすることが目的で尋ねるのであれば、自信をもってドア🚪をノックするところであろうが、私の場合は祈ってもらうために研究室を尋ねるのである。相当カッコわるい事は承知しているアセアセ先生は私の話をよく聞いてくださり、最後のほうで「卒業したての一年や二年は問題ではありません。そのぶん、一〜ニ年長くやればいい事です」と言ってくださった。やがて卒業礼拝を迎えるその日に◯◯教会の協力牧師として働く事になり、心から感謝🥲している。


数年経って私が関東にある◯◯伝道所の牧師として仕えている時に、いきなり電話が☎️鳴り「Nですが…今度、新共同訳聖書の訳語委員会があって上京するので、その時あなたの伝道所に寄ろうと思うので、説教を致します」と。おっかなびっくりで「ハイ、ハイ…」と答えた。その時の説教題も、聖書箇所もはっきりと今でも覚えている。N先生はその時はすでに大きな手術予防接種ナイフを受けておられ、定年まで勤められ、数年後に召された(亡くなった)事を、私が関東にいる時に聞いた。私はただ一つの恩返しも出来ていない事は心残りである。


 あれから41年が経った。私の牧師としての働きはこれで終わりにしようと作業を進めていた。そこへ今回の出来事である。私にはN先生の言葉「…遅れた分、一〜ニ年を長くやればいいだけのことです」が重なり合う。ヘブライ語でダバール(言葉・語る//出来事・成就する)あの研究室での言葉が今頃になって遂に成就完了しつつある。ただ注意しなければいけない事は自己保身的な、自分の身分のみに固守する事は、大変「姑息」で不愉快な気持ちハートブレイクになる。

 一方でキリスト讃歌十字架の中に「神と等しくある事を固守すべき事とは思わず…」(ピリピ人への手紙2:6)「固守する」(ハルパグモン)の意味は「喰いものにする」「利用する」である。端的には牧師としての肩書きを失いたくないムカムカピリピリと必要以上に執着する事は、キリストの体なる教会を喰いものにし、利用する事になる。もちろん牧師としての使命感に立つ事は、大切な事であると同時に社会的には宗教家としてグレードが高く見られる‼️からと、牧師の仕事に決して固守してはならない。然るべき時が来たらすぐにでも引退するべくその緊張関係の中で遂行されるべき職務なのであろう。いつ手放してもいいと思うほどの柔軟な姿勢こそが、むしろ牧師としての健全な姿なのであろう。

 神の憐れみによって私(高屋)に、も少しだけ頑張ってみなさい笑wという神からの再チャレンジに聞こえて来るのだが… (笑)。     高屋澄夫






🤳上→伊切木みかんのブランドで売ってる

🤳中→飯塚のスーパーで今日も売ってた

🤳下→山の中にある茶屋 隠れ家「三季」