昔、ニュースステーションの1コーナーに最後の晩餐というものが在った。久米宏さんがその時期に話題になった時の人を呼んで対談するといった趣旨のコーナーだったと思う。そこに葉月里緒菜さんがゲストで登場された回があった。和やかに対談は進み対談の締めに「もしあなたが最後の晩餐に食べたいものは?」と久米さんは言った。葉月さんは一点の曇りも無く、食べる間を惜しんで身近な人に会っていたいと言っていた。

そんな事をふと思い出した。あの時の葉月さんの目が今でも鮮明に思い浮かぶ。

もし明日死ぬとしたら僕は何を食べるのだろう。それとも今までお世話になった人達に会って時間の限り話し続けるのか?死ぬとわかって何を考え、どう行動し、どう生きていくのだろう。

誰でもいつかは死ぬ。

それは事実だ。

際限ある生の時間を無駄に使ってきた気がする。でも何をやりたいのかと言われるとよく解らない。そうやって最後の晩餐に近づいて来そうだ。明日の自分もよく解らないのに死ぬときの事など益々よく解らない。もしかしたら何人か道連れにしようとするかもしれないし、誰か困っている人の為に残りの人生を費やすかもしれない。正直よく解らない。

最後の晩餐は何を食べるのだろう

 

 

今日のBGM                      スピッツ                       メモリーズ

久し振りにクラシック以外の物を聴いています。

 最近世界で一番不幸な人とはどういった人の事かを考えている。身体にハンディを持っている人、貧乏な人、一人ぼっちの人、愛せない人、愛して貰えない人、どれも不幸に見えるのだが世界一不幸な人と言うとどれも違うような気がする。不幸に落ちている人は今の自分の状況を把握できていない人だと思うので周りから見れば不幸なのかもしれないが本人は気付いていない事が多いと思う。例えば、悪徳の宗教団体にハマって一家離散の状況になっていたとしても宗教にハマっている人にとっては不幸では無いだろう。自分の信じている神に仕える事がその人にとっての幸せなのだからその状況は本人にとっては決して不幸とは言えない事だと思う。身体にハンディを持っている人にしても生まれてからずっとハンディを負っている為、周りが思うほど不憫に思ってはいないと思うので不幸では無い。飢えに苦しんでいる人はどうなのだろう。食べれない事は不幸だとは思うがいつも食べ物を食べれない状態が一月なり二月なり進めば死んでしまう。死んでしまえば幸不幸の価値感で物事を計るのは違うような気がするし、数ヶ月間不幸が続くだけで世界一の不幸と言うのは違うような気がする。僕が考えた世界一の不幸者は正常と狂気の狭間を彷徨っている人なのではないのだろうか。いつ終わるとも知れない状態の中正常なのか狂っているのかが解らない状態で一生を終えるのは辛い事だろうし不幸な事だと思う。

でも世界一不幸という基準が曖昧で客観性に欠ける表現なので判りようがないのだろう

  

 

今日のBGM                      j.s バッハ               主よ、人の望みの喜びを

クラッシクばっかり聴いてますがクラッシクをまともに聴いているのは初めての経験です

 誰かを褒める事は難しい。ただ褒めるのは簡単な事なのかもしれないけれど嫌味でもなく、おだてているのでもなく、感じた事を素直に表現する事はとても難しい事だと思う。身近にいる人なら尚更難しい。貶したり、くさしたりの方が簡単だ。日常にあるちょっとした事に褒める材料が転がっているのだが上手く褒められないでいる。社会は十人十色なので褒め方も十人十色だ。これがベストだと言う言葉があれば楽なのだが相手にどれだけ伝わるのかと言えばベストとは言えない事もある。

 逆に貶す事しか出来ない人もいる。仕事等で貶す事によって貶された人が発奮して仕事が上手く行く事もあるのだが、言った相手との信頼が築けていないのに平気で貶す人もいる。その人はその人なりの考えが有ったりするのかもしれないが言った相手と信頼関係が築けていないのでその発言を理解できずに無気力になる。

人の心は解らない

褒めるなら褒め方があるように貶す場合にも貶し方があるのだろう。どちらにもメリット、デメリットがある。また人それぞれ捉え方が違う。立場もあれば、性別もありタイミングもある。人間関係はややこしいし、面倒な事が多い。それが楽しいと感じれれば良い事なんだろうがそうでない事の方が多い。

できればちやほやされて生きていたい

 

 

今日のBGM                 モーツァルト            ラクリモーザ(レクイエム 二短調)

今日もクラッシク



 少し前に、彼氏が行っている大学に一浪して目指している女の子の話をTVでやっていた。あらすじとしては、今の状態では志望校に入学できないので彼氏は彼女と連絡を取らないようにして大学に受かったら今の関係を続けるといった話だった。その彼氏曰く「自分と会っている状態では彼女の足を引っ張っているだけでフェアな状態ではない」と言うことだった。しかし彼女の方は結果的に大学に落ち、彼氏にフラレていた。彼女の方は自分のベストを尽くしたと言っていたのだが彼氏の方から言えば、口先だけの言葉で決してベストを尽くしておらず一年間待ったのにまた大学に落ちて同情を求めているだけにしか見えないということだった。一見、彼氏の方が冷たい様に見えるのだが彼氏の方の言い分には納得させられる部分が多いと思う。今まで努力をしてきた人間は自分の限界だと思っていた所よりもっと先に限界が在る事に気付く事があるが今回の彼女はここでイイやといった考えやこれだけがんばったのだから志望校には受かるだろうと言った甘い見通しがあったのかも知れない、だから彼氏の方は敢えて突き放した態度を取ったりしたのだろう。彼氏はお互いがお互いを高めあうような関係を求めていたのに対して彼女の方は彼氏に甘えたい部分が在ったのだろう。例え受験に受かっていたとしてもこの二人は別れていたのだろう。

番組の最後の締めで彼女はもう一度大学を目指すと言っていたのだがその理由に解せない部分があった。彼女は自分がよく解らないので自分を知るために心理学を専攻してカウンセラーを目指すために再度、その大学を目指すと言っていた。僕が解せないと感じたのがカウンセラーを目指すという部分だ。自分がよく解らないという部分は理解できる。僕も自分が解らないことは沢山あるし、知りたいと思う事もある。ただその先のカウンセラーと言う職業については納得がいかない。彼女の言い分だとただ人の心を観てみたいという好奇心でしかないように受け止めたからだ。カウンセリングが必要な人はそれぞれ心に傷を持っているのに興味本位の面白半分で心を覗かれるのはその傷を掘り起こすだけのような気がする。それは治療でもなく傷口を広げる行為にしかならないだろう。僕が患者ならそんな人に診断を受けたくもないし、カウンセラーやセラピストの中には面白半分で人の心を覗いている人がいるのかもしれないという不信感だけが残ってしまった。確かに興味本位で患者と向き合うのは悪い事ばかりではないのかもしれないが、偽者の信頼関係の中での治療は果たして有効な事なのか。そういった事をされると問題は余計ややこしくなるだけだと思うのは僕だけなのだろうか?

 

 

今日のBGM                      GRIEG                       MORNING

最近、クラッシクの良さが分ってきた様な気がします


図書館に行くのは好きなのだがあまり行かない。なぜかと言うと本を読むのが遅いからだ。元々活字中毒なので読む事自体は好きなのだが一週間で何冊も読めるほど集中できる時間が無い。ひきこもりで時間は有るのだが不精者なので時間に追われながら読む事ができないのだ。だから図書館の利便性の悪さが気になりあまり行かないのだ。24時間営業で喫茶店が在って音楽のかかっている図書館があればその図書館で住む事になるだろう。そういうとマンガ喫茶になるのだがマンガ喫茶には小説を置いている所は見た事が無い、。じゃあマンガじゃ駄目なのかと言うとマンガも嫌いではないのだが活字の中にはマンガには表現しにくい作家の想いが詰められているような気がする。マンガだけではないのだろうが、少年誌の中には売れたマンガを盗作したような作品や売れるとパターン化したりとかで編集者の意思が見え隠れしていて作家のやりたい事や伝えたい事が伝わりにくいのだが、作家の方は一つの作品ごとにその人の伝えようとしている思いが伝わりやすいと思う。だから小説の方が最近はよく読む。それなのでどうしても24時間営業の図書館が近くに欲しい。

 

 

今日のBGM                         エリック・サティ               ジムノベティ

クラッシクの鬼才エリックサティ。ジムノベティは特に有名です



 気違いは出版業界では自主規制の対象らしいがここはブログなのだし、僕は一般人なので敢えて気違いと言わして貰うが今日、世界で一番有名な気違いビンセント・ファン・ゴッホの個展を見に行った。美術館に行くのは二回目だ。あまり絵画などには興味が無いのだが、旅行に行ったときに知った風に美術館に行くのは気色が悪いと思うのでいつか行こうと思っていたのだがなかなか行く機会が無く、今日は近くに用事が有ったので行く事にした。

 土曜の昼間の為、人ごみが多くてウンザリしたのだが作品は正直良く解らなかった。確かに独特の雰囲気が在ったり、ゴッホが影響を受けたと言われている画家の作品が有ったりと楽しめたのだがじっくり観賞する時間が無く、人ごみの中を歩いていたので集中して観れなかった。しかし「黄色い家」(ゴッホとゴーギャンが共同作業をして結果的に仲違いをして耳を切った場所で、この絵が描かれたのはゴーギャンとの共同生活が始まるか始まらないかの位に描かれた絵だったと思う)と「子守女」(ゴーギャンとの共同生活に破れ失意のゴッホが耳を切り入院した。その時に看病をしてくれた女を描いた絵)の絵の対比が面白かった。

黄色い家ではこれから始まるであろうゴーギャンとの共同生活に対する希望を感じさせ、色調も鮮やかで曇りが無いが、子守女の方は、絶望に打ちひしがれ精神的におかしくなり、色調も暗く今後の不幸を案じさせるような作品になっていた。同じ時期の二枚が隣同士に並び対比させやすかった。

他にも歌川広重や渓斎英泉などの浮世絵やゴーギャン、セザンヌなど有名な画家の作品が飾られていたりと時間を忘れて楽しめた。

芸術と言えば堅苦しくて良く解らない物だと思っていたが、単純に面白いと感じた。特に額縁に興味を持った。絵画といえば絵が主人公で額縁は脇役の存在なのだが額縁の印象で絵の表情が変わって見えるのだろう。それほど重要なのだが前に出過ぎても行けないという難しい役割を果たしていたのに興味を持った。素人がどうこう言うのも可笑しい話だが当たりはずれがあったり、変わった額縁が在ったりと額縁だけで随分楽しめた。今度は聴いた事も無いようなマイナーな個展に行って先入観が無い状態で観たいと思った。

 

 

今日のBGM                       東京事変                       透明人間

 東京事変のキーボードの人はPE’Zの人でぶっ飛んだピアノが好きです

 最近年を感じる。同級生の友達と遊ぶとなおさらだ。日本代表でも年下が目立つようになり、ITの社長にも同い年の人が出て来た。同級生が頑張っているのを見ていると凹む事が多い。片やスペインの至宝と呼ばれたり、日本代表のキャプテンだったり、何十万枚を売るアーティストだったりと様々だ。自分はと言うと年収が二百万円台の負け組みの先頭を走っている。上を見ればきりが無いのだが少なくとも周りの人に影響を与えれような人間になりたい。今、思えば十代の頃に遊んでいたので当然と言えば当然なのだが一人前と言われる様になるには程遠いような気がする。特別な技量も特技も無い。明確な目標が設定されていないため何をしたいのかが分からないが何かを始めなければいけないといつも思ってしまう。このブログも何かを始めたいといつも思っていたので見切り発車でやってしまったのだが自分の文才の無さや表現の難しさにいつも悩まされる。誰かに自分の想いを伝えるのは凄く難しい。

愚痴のような文章が続いたのだが自分の持っている能力で世間に影響を与える同級生を見ていると嫉妬と共に尊敬してしまう。みんなそうなのだろうか?

 

 

今日のBGM                         hide              D,O,D(drink or die)

思春期の頃に一番ハマったアーティストはhideさんだ。hideさんのオモチャ箱をひっくり返したような感性に刺激され、色んな音楽を漁る様に聴いていた。亡くなってずいぶんと経つが何事も無かったかのようにヒョッコリ帰って来るのではと今でも思ってしまう。         

 人並みに料理はできる方だ。一人で住んでいると所帯じみた事もなんとかこなせるようになる。上手い物を作ろうとせず、食べたいものを食べたい味に近づけるようにするだけで、体外の物は食べれるようになる。一時期、料理に凝っていて、合わせ調味料の内容量を見てその料理を作る事にはまっていた。最初は全然違う味なのだが三、四回作ると体外のものが出来上がる。どうしたらその料理になるか試行錯誤している時が一番楽しく、理想の味にどれだけ近づけるかというのがテーマだったと思う。その経験が有るから簡単な料理ならできるようになった。食べる事は人生の楽しみの一つだろうが、作る事も楽しみの一つだ。

 しかし元々食べる為にしかたがなく始めた料理がいつの間にか作る事に夢中になっている自分がいて何をやっているのだろうと思い、虚しくなってきたので今はあまり料理はしないようになった。女の人はよく料理の出来る男の人を良い事の様に言うが、ただ楽をしたいだけのように見えて嫌になる。料理が多少出来るくらいの方が良いと思うが、明らかに男が作る料理の方が美味しかったら自分から料理をしないだろう。

 大体、料理のできる男はモテナイ男でしかないと思う。料理の出来ない男ほど結婚が早いと思う。男が料理が出来る為にこうしろとかああゆう風にしたら良いとか色々言われたら女の威厳も落ちるだろうし、そんな男と所帯を持つとそのうち切れるだろう。基本的に台所の主導権は女の人に持ってもらいたいし、女の人もそこを抑えていると旦那を操りやすいはずだ。つまり、誰か料理作って~!

 

 

今日のBGM                                        ゴッドファーザー愛のテーマ

素直にかっこいいと思える曲。曲中に悲しさや優しさなど色々な顔があり、クールにかっこいいと思える

 梅雨入りしたのにあまり雨は降ってこない。僕は夏が嫌いなのでいつもはあまり活動しないのだが(といってもひきこもりなので年中ほとんど家にいることが多い)今年の夏は旅行に出ようと思っている。旅行は好きなのだが海外旅行は数えるくれいしか行けてない。社会人になってまとまった休みが取りにくいのも理由の一つなのだが国内旅行も気軽で楽しいのでついつい海外に行かず国内で済ましてしまう。昔、ハワイに行ったことがあるのだがあまりの日本人の多さに嫌気がさした。なぜわざわざ海外に行くのに日本の延長のような所に行くのか僕には理解できない。どこに行っても日本語は通じるし、日本人ばかりでせっかくの海外という感じが全然しなかった。海外旅行の大きな魅力は異文化に触れる事だと僕は思っている。それなので日本人の少ない所の方が僕は楽しめる。確かに、言葉が通じる方が何をするにしても楽なのだろうがせっかくの海外旅行なのだから苦労してでも色々な事にチャレンジした方が後々、楽しいと思う。そこで見ず知らずの人と友達になれたり、文化の違いを肌で感じたりできるのでますます旅行が楽しくなると思う。買い物やレジャーだけが旅行では無いと思う。

 海外の方が、日本よりも安く買い物ができたりする物もあるだろう。また日本で未発表のブランド物もあるだろう。しかし買い物と観光と贅沢な料理だけの旅行は味気ないと僕は思う。高いお金を払って観光客相手の連中に金をむしられに行っているようにしか僕には見えない。だからなのかもしれないが外国で日本人が馬鹿にされたりするのもそのせいだろう。

 僕の旅行の楽しみ方は、まずその土地のスーパーに行く事から始まる。そこに住んでいる人が何を食べているのかとか地元で売っていない商品を見て楽しむ。他にも、駅前や人の集まりそうな所で無作為に声をかけ地元の人の行くレストランや服屋、雑貨屋などに行ったり地元の遊び場に行ったりと極力、そこに住んでいる人達と仲良くなろうとする。旅の恥は掻き捨てで声をかけるときは恥ずかしいのだが旅人だと伝えると殆んどみんな優しく接してくれる。そこが旅の醍醐味だと僕は思う。

今年は何処に行こうかな・・・

 

 

今日のBGM                the brilliant green               Baby london star

初期の作品はそのアーティストがやりたい事が良く出されている。そんな事を書いていた音楽ライターがいたがブリグリにはそれが当てはまると思う。デビューしてすぐに売れっ子になりやりたい事と求められている事に矛盾が出てきて上手く行かなくなったのかもしれない。またバンドとして復帰して欲しいです

 学生時代は馬鹿だった。今も賢いわけではないのだが学生時代に比べると多少はマシだったと思う。青春時代に戻りたい!と言う人がよくいるが僕はもう二度とあんな時代を経験したいとは思わない。あんなに自意識が過剰で、傲慢で、天邪鬼で、小心で暗黒な時代には戻りたくない。一人になりたかったのに誰かと一緒で無ければ安心できず、些細な事に傷ついていた。苛めの標的にならない為に媚を売ったり、仲の良かった友達を裏切ったりと自分を守る為に必死だったのかもしれない。今思うと、そんなに大した事でもないのに過敏に反応したりと、とにかくしんどかった。今なら何故?と言える事も当時は平気でやっていた。

思春期の頃の僕はただ漠然としか生きていなかった。ただ生かされている事にさえ気付かないような鈍感な少年だったのかもしれない。それなのに何か特別な何かの才能が有るかの様に思っていて人と違うと思い込んでいた。自分からは何をするでも無しにただ何かを待っているだけだった。何不自由がないくせにいつも何かを求めていた。

今思春期を迎えている学生の人達は何を思っているのだろう。

時間は全ての人間の下、平等に進んでいく。思春期の頃は大人は汚いとみんな言っていた。社会に出たら汚い大人も沢山いる、それに流されている大人も沢山いる、そこに反発し戦っている大人も、もちろんいる。僕は今どちらにいるのだろう・・・

 

 

今日のBGM            thee michel gun elephant                 マリアと犬の夜 

早いもので解散から二年が経ちました。解散が決まったツアーを見に行ったのですが解散という事実を隠すでもなくかといって解散することを説明するわけでもなく、淡々と演奏をしていて泣きそうになりました。こういった骨太なバンドが続々現れて欲しいです