十月四日、私は五代目桂米団治と相成りました。何卒(なにとぞ)よろしくお願い申し上げます。
初代の米団治は嘉永元(1848)年の生まれ。初代桂文団治に入門し、後に七代目桂文治にまで昇りつめた上方を代表する親分肌の師匠でした。
米団治命名の由来は、家が米屋だったから。以来、「米」が名に付く系譜が続くことになったのです。実は、私の後援会長も米屋さん。コメに縁があるなあ。ますます米を食べようと思った次第。ごはんで“氣(き)”を入れ、巡業を乗り切っています。
瑞穂(みずほ)の国と言えば日本を指しますが、米の国と書けばアメリカになりますね。この国からは毎年、米穀の自由化を迫られ、マイ上がるばかり。しかも、宗主国の金融破綻(はたん)を補填(ほてん)するのは属国の務めとばかりに、日本の銀行に買い取りを迫ります。
ここは一つ、上方流の外交を施してはどうでしょう。「所詮(しょせん)わてらは敗戦国でっさかい、文句言えませんねん。米軍駐留費の七割はウチが出してるのに、沖縄で何されても身柄拘束でけしまへん。米国債は買うことはできても、売ることは絶対許してもらえません。まぁ、オリンピックで日の丸を振らしてもらえるだけでもありがたいと思わなあきまへんねやろな」とね。
米のことならすべて私に任せて! と言うた時、文珍さんが「君は事故米とちゃうやろな」。(落語家)