生花に、造花やドライフラワーにはない美しさを感じるのは、

日々変化し続け、やがて枯れていく定めがあるからこそです。

 

私達人間は神の分霊として生まれ、

この世でたくさんの体験をして、大勢の人と混ざり、

変化し、様々な感情を学んで、

また神の基へと還っていきます。

 
 

旅行が好きだという人は多いでしょう。

旅行は時空を超えるものです。

ワクワクと計画を立てながら未来に期待し、

旅の最中は今ここ、現代を心ゆくまま味わい、

写真や思い出と共に、過去を癒すものです。

 

慣れた場所へ何度も行くのも良いのですが、

時に私達は、全く知らない場所を観てみたくなり、

ハプニング満載な事を覚悟で、

あえて未知の土地で、苦労することを楽みます。

 

そんな旅の思い出は、普段いつも共にあるものではなくても、

アルバムの中に残る古い写真の様に、

何かの時にふと蘇ったりして、私達の心を温めます。

 

ハプニングを乗り越えた大変な思いこそが、

一番の土産話になるのもよくある事です。

物質的な物が何も残らなくても、思いは永遠なのです。

 

 

変化、体験、混ざり合うのがの本質というもので、

流れの無い溜め水が腐るように、

変化のない毎日は、私達の心を停滞させます。

例え平和な世であっても、自然の変化の流れに逆らうように、

そこに留まろうとするのなら、それはむしろ退化と言えます。

 

そして人は完成に近くなるほど謙虚になっていきます。

何故なら完璧を求めるようになるから。

だから完成に近くなるほど、小さな傷が気になるものです。

 

しかし人間に個別性、エゴが存在する以上、

瑕疵の無い愛などない事と同じで、

何事でも完璧は、どうしても不可能に近いものです。

謙虚さという美徳を、神様は私達に与えてくれて、

それが人類に絶えず進歩をもたらしてきたかのようです。

 

 

スピリチュアリストの目指す究極目標である悟りとは、

無になる事ではなく、そのものとなる事です。

遠隔ヒーリングの様なポジティブなエネルギーが届きやすいのは、

は光と共鳴し、光を通し、光を届けるからです。

は遮断するエネルギーを持って、その力も届きません。

だから恨みや嫉妬、呪いの様なマイナスエネルギーを、

心配する必要は無いのです。

 

という状況を想像するのは難しいですが、

絶対的なならすぐにイメージすることができるでしょう。

何故なら、私たち自身が光そのものであるからです。

 
 

全ては自然の法則の理の中。現象そのものに意味はなく、

大局的に見れば全ての事柄は、色々な側面を持っています。

どんなにつらいと感じる事も、長い歴史の中で見たら、

その学びの大きさゆえに、感謝に変わる事もあるでしょう。

 

もちろんその時にわからなくても良いのです。

ただ日々、誠実に、変化に向き合い、

乗り越えるべき小さな課題と向き合い、

少しずつでもに向かって歩いていくことが、

私達スピリチュアリストに求められています。