ちょんまげ
時代劇でお馴染みのチョンマゲ。「丁髷」と綴る。いまでは、お相撲さんの髪型(大銀杏)でしか見ない。よく見ると、まことにユニークなヘアースタイルだ。丁髷(ちょんまげ)は、正しくは江戸時代に老人など頭髪の少なくなった人がしていた髪型の呼び名だった。何のことはない、少ない髪の毛を集めて結い上げた髪の形がゝ(ちょん)の字に似ていたことからその名がついたという。アチャー😵 ・・・現代では、ナイキがブランド化したようなもの・・・男子は古代から頭に冠や烏帽子を載せるのが一般的で、その中に髪をまとめて入れたため、髪を集めて束ねた部分を髻(もとどり)といって髷(まげ)の原型だった。飛鳥時代以降に冠をつける際に便利だとして始まった。冠などの中に入れるため、上に立てていた。平安時代末期には貴族の冠や武士の兜をつける際に頭頂部が蒸れるのを防ぐために前頭部から頭頂部にかけて剃り上げる「月代(さかやき)」が始まった。そして、後部の髪で髷を結った。公家がしていた月代は、冠をかぶる際、前髪が冠の玉縁(たまやり)からこぼれれるのを防いだためと思われる。ただ中世に入り武士の世の中になると、武士たちは、合戦に際して兜をかぶるために髷を解きザンバラにした。→月代の語源については諸説ある。逆気(さかいき)とする説が有力だ。上せた気を下げるのが逆気で、これが変じて「さかやき」になったという。平和な江戸時代に、臨戦態勢の風俗である月代が武士の定番スタイルとなったのは、なんとも皮肉なことではある。室町時代頃になると髷も様々なデザインのものが現れた。江戸時代になると月代を剃るのが身だしなみとされ、髷も戦国ぶりのものではなく小奇麗なものが主流になる。浪人や隠居した人なども月代を剃ることをやめる人もいた。医者は本来は坊主頭だったが総髪(月代にせず髪を後ろに垂らす)にしている人も多かった。一方、例えば穢多や非人などは髷を結うことが禁じられた。少なくとも主持ちであれば月代を剃るのが普通だが、幕末になりあわただしい時代になると次第に月代を剃らない人も増えたらしい。明治初期、髷を切って「ザンギリ頭を叩いてみれば、文明開化の音がする」と囃したが、令和初期、三密回避で髪を切らずに「ザンバラ頭を叩いてみれば、コロナウィルス忍び寄る」 2020-12-10の記事を移転