宇高航路の廃止は少し寂しい。100年間瀬戸の大動脈を支えてくれてありがとう。 | 「永田町で考える地方のまちづくり 」

宇高航路の廃止は少し寂しい。100年間瀬戸の大動脈を支えてくれてありがとう。

宇高(連絡船の廃止は少し寂しいです。幼少の頃、夏休みになると、岡山(ほとんど鳥取県よりです)の家から母の実家がある高知まで、毎年のように遊びに行ってました。朝一番の鈍行に乗ると、ちょうど宇高フェリーに乗る頃がお昼前でした。ちょうど1時間くらいの船旅で、デッキの立ち食いうどんで讃岐うどんを親子で食べるのが楽しみでした。「ようこそ青い国―四国です」の横断幕が見えてきたら、高松港。港は駅に隣接していて、到着すると、リュックを担いで一目散に土讃線の汽車に飛び乗り、席を確保するのが僕の大事な仕事でした。大歩危・小歩危など経由して、高知に着くのは確か3時頃だったと記憶しています。高知市の親戚に泊まり、安芸市の親戚に顔を出し、室戸市の親戚に泊まりと、お小遣い稼ぎの旅でもありましたが、徐々に親戚も減って高知に行く機会も昔ほどではありません。宇高航路がかつて本四の大動脈であったことは言うまでもありませんが、3本の連絡橋がその役割を果たす今、ETC割引などで路線廃止はやむなしということでしょう。ちょうど100年の歴史だそうです。ありがとう。宇高フェリー。