最近パチンコパチスロ行かないのに何でこのブログ書いてるんだろう?

 

そう思いながら書いてます。

 

昨日、YouTubeのチャンネル登録の整頓をしました。

パチンコ・パチスロ関係のチャンネルを10個程削除しました。

 

確実に私の中でパチンコ・パチスロへの情熱は冷めています。

 

と言いながら、1回でも行ってしまうとまた元通りになるのがパチンコパチスロです。

1回でも行ったらアウト。

 

ずー-----------っと、一生、行くか行かないかの戦いです。

 

人生の2択の話は前回のブログでお伝えしました。

ブログを書くことは今の私にとってはマイナスでしかないのでは?

 

だって、このブログを書かなければパチンコパチスロで経験してきた辛い事を思い出す必要はない。

 

でも書いている。

 

なぜ?

 

多分、自分自身が許せないからだと思います。

 

こうやってまだパチンコパチスロへの恨みや辛みを書き出すことで

自分自身の傷を抉ってるんだと思います。

 

忘れる事は許される事でもある。

私自身はまだ過去の私を許していない。

 

いつか許す日が来るんでしょうか?

わかりません。

 

ブログを書くその他の理由としては、他の人にもこうなって欲しくないという思いと、私と同じように後悔して苦しんでいる人達へあなただけじゃないよ、と寄り添いたかったり。

 

でもたまに突き放したり。

 

 

 

依存症でパチンコ店へ行く時はめちゃめちゃ楽しかった。

 

未来なんていらない。今、だけ楽しければ良い。

 

この瞬間がずっと続けば・・・と。

 

依存症のラインはどこからでしょうか?

やはり、使ってはいけないお金を使いだした時や自分の生活レベルを下げてまでやる時や

借金を作ってまでやる時。

友達や他の約束を無視してパチンコ店に行くとき・・・など。

 

多分、どれか一つでも当てはまったら依存症でしょう。

全ては連鎖しますから。

あの負け続けた時の、鉛みたいな鈍い光と重さを心地よく感じていたのは、私にギャンブルをにはまる素養があったからでしょう。

 

今の私は、私が好きです。

20代の時に借金を抱えてギャンブルに溺れて体を売っていた過去でしたが

それでも、その経験は私の人生の一部で蓋をする事は出来ません。

 

でも、あの時、私はギャンブルに嵌らなければ、絶対今よりお金はあったし幸せだっただろうなと思うのです。

 

遅かれ早かれ、皆そう思うんだと思います。

 

まぁ、お金が有り余って趣味がパチンコという羨ましい生活をしている人達も確実にいます。

パチンコの演者等でたくさん稼げるという話も聞きます。

 

でも、仕事で打つとなると楽しいかどうかは別になってきそうです。

 

理想は、パチンコパチスロを仕事にするのではなく、普通に仕事して仕事帰りや休日にパチンコを

打って何万も負けても全然痛くも痒くもない暮らし。

 

ただ、人間の欲望は際限がありませんのでそういう暮らしになったらパチンコパチスロには興味を

失くす人が多いみたいです。

より大きなリターンを求めて、競馬や競輪に賭けるみたいですね。

 

結局、何をしても満足出来ないというこの精神的な渇きに私達は耐えられない。

私達がパチンコを止められない理由は、逃げたい何かがある時、暇がある時、お金がない時だと思います。

 

言い換えれば、充実していて毎日忙しく、裕福な方はパチンコへは行かないのではないでしょうか。

 

今の社会では、誰でも渇きを抱えてギャンブル依存症になる可能性は大きくあります。

 

でも、その渇きはギャンブルでは永遠に潤わない。