エンディングノートの重要性はもちろん認められます。「遺言書」

にはない利点もあるからです。

しかし、誤解も少なくないようです。エンディングノートは、いわゆ

るメモ書きのようなものであり、「遺言書」のように法律上の効果

のあるものではありません。重要な事項は、やはり、「遺言書」

としてまとめておくべきではないかと考えられます。

むしろ、「遺言書」を作成し、それを補完するようなものとして、

エンディングノートを活用するようにすれば、より有効に活用する

事が可能になるように思われます。

具体的には、財産法を中心にした現行の「遺言書」の制度では

規定できないような、祭祀に関する事項(埋葬方法・埋葬場所等)、

緊急連絡先(親族関係・友人関係等)、関係する機関(金融関係・

病院関係等)、今までしてきた事(趣味・関係者等)、これから

したい事(趣味・関係者等)について、詳細に書き記す事です。

これらは法定の要件に規制されるものではありませんから、比較的

事由な記載が可能ですから、その分、自由に記載して目に触れさせ

る事ができると思われます。

 

「遺言書」、エンディングノート、私的には、月並感がぬぐえないです。

本当は、私のお勧めは、自分史等の作成です。自分が誕生してから

今日までの自分の歴史を作成する事は、自我の主張ではなく、むしろ、

素直な形での自分自身の再理解であるとともに、自分という存在を

わかってもらおうとする努力の結晶であると思うのです。ですから、

可能な限り、自分史の作成をお勧めします。

 

もっと言ってしまえば、そこまでやるなら、自分という存在がありえた

のは、父母、祖父母等、先祖がいたからであると思い至り、家系図

を作成する方がより善い事であると考えています。更に、自分が

何故存在しえたのかの深い理解につながるからです。

繰り返しになりますが、観賞用家系図の作成は、平成22年12月の

最高裁判決によって、行政書士業務ではなくなりました。ことの発端

は非行政書士の人が行政書士の使用する「職務上請求書」を使用

して親族関係の調査等をした事です。しかし、それもそもそもその人

に「職務上請求書」を渡した行政書士がいたわけで、自業自得としか

いいようがないように思えます。観賞用家系図は、事実関係を証明する

文書ではありませんが、限りなくそれに近いものであると評価する事も

可能であると思います。まずは調査・研究してみる価値があると考える

べきでしょう。

 

財産関係の事だけを気にしているのであれば「遺言書」だけでも十分

かもしれません。

生前の事を含めて包括的対応を期待するのであればエンディングノート

が有効でしょう。

なお、自分史を作成したり、家系図として残したりすれば、子孫の有無

に関わらず、将来、きっと生きてくる何かがあるはずです。

いずれにしても、問題事・もめごとを回避して、平穏に治める為には、

事前の措置・対応が非常に大事であるということなのでしょう。