今日四月八日は、お釈迦様の誕生日とされている日で、各地の仏寺
では誕生会の行事が行われています。以前は、神社でもお花祭として
行事が行われましたが、明治以後、実施されなくなりました。
前回、投稿した「不立文字 教化別伝 直指人心 見性成仏」という
のは、禅宗でよくいわれるものです。真言宗では、身口意の三密の行
といって、ムドラー(印)を結び・マントラ(真言)を唱え・意識を仏に集中
させて、生身の人間がそのまま仏となるといいます。私は、禅・密兼学
で勉強しましたから、ある程度の事はわかっているつもりです。
今、桜が満開ですね。そろそろ散り始めていますが、花はその散り際
が最も美しいといわれます。普通、我々人間がお花見して、花が散ると
こんどは山の方で桜が咲き始めますね。本当は、気温差等の科学的な
理由もあるのかもしれませんが、神道では、人が花見をして飲食する時
神様も一緒に飲食されている(神は人の食べ物等を減らさずに飲食できる
とされている)しています。里にいた神は時がたつと山へ帰るとされ、桜の
花も、里から山への帰っていくのだと考えたそうです。
易学(儒学)で、沢水困という卦があります。その卦辞に「困すれば窮す
窮すれば通ず 通ずれば変ず 変ずれば久しい」とあります。つまり、人
は困窮でもしてみなければ容易に変わる事などできないと教えています。
前回、投稿しましたとおり、自分の経験でもなければ容易に人心など
理解できないと思っております。「遺言書」に関する事も同様で、遺言書
への思いも、遺言書を書き残す側の気持ちと、それ(「遺言書」)を受け
取る側の気持ちについても、その人の内面の心がわかれなければ、
それ(遺言・相続業務)にたずさわる事も難しいのではないでしょうか。
その人の性格等によるかもしれませんが、遺言に関わる事の重たさは
計り知れないものなのではないかと思っております。