禅宗の教えに「不立文字 教外別伝 直指人心 見性成仏」とあります。

いろいろ解釈はあるかもしれませんが、私としては「自分の経験した事で

なければ本当の事はわからない。」としています。

 まさに、何事も自分自身が経験した事でなければわからないと思うの

です。例えば、犯罪の被害者に同情する事はできるかもしれません。

しかし、犯罪の被害者の気持ちというのは、同じように犯罪の被害者で

なければ到底理解する事のできるものではないと考えているのです。

例えば、交通事故の被害者が身体障害者になってしまった場合でも同様

だと思うのです。気の毒だと同情できても、その被害者の本当の気持ちは

同様に交通事故で被害者になった者でなければわからないと思います。

例えば、子供や若者が交通事故の被害にあったとします。彼・彼女達には

将来への夢や希望もあったかもしれません。死亡した場合はもちろん、

身体や精神に障害を負った場合も、その人の人生に計り知れないダメージ

を与えてしまうとは思えませんか?その人の人生への影響は到底理解し

がたいものではないでしょうか?

 前回投稿しましたが、私は亡くなった父親の「遺言書」を読むことができ

ませんでした。今現在でも亡父の「遺言書」の内容を知りたい。どんなに

厳しい事が書かれていたとしても知りたい。それが人情というものでは

ないでしょうか?

 繰り返しになりますが、私は行政書士業務として、遺言・相続業務を主要

業務にしています。その理由は、自分自身の具体的経験が基礎になって

いるのです。「遺言書」はもちろん遺言は亡くなっていく者の最後のメッセージ

です。それが破棄・隠匿されては計り知れない影響もあるのです。

 私は、私自身の経験から、その思いを具体的に体感できます。また、その

ような被害にあわない方策ももちあわせています。同様の不安・心配をもた

れている方々のお力に十分なれるやる気と自信があるのです。