最近、家族葬とか自然葬という葬式のチラシが郵便受けに投函されています。少し寂しい感

じがしてしまいます。何も大勢が葬式にくれば賑やかで良いとかそういう事ではないのです。実

際、チラシのナカミを見てみると話しの中心になっているのは値段であるように思えるのです。

実に「安いお金で速やかに終了できるのです。」でも言わんばかりの商売です。本当にそれで

良いのでしょうか。又、最近流行りの自然葬を否定するつもりはないのですが、大昔であれば

それこそ野垂れ死にした人を無縁墓地に葬るとか、何か昔話であれば本当にお粗末なぐらい

悲惨な話になってしまうのです。決して、樹木葬や、海上での散骨等を否定してしまうものでは

ないのですが、価値観の多様化という一言では何か割り切れないものがあるのは私だけでし

ょうか。私(飯嶋真一)は、何か本当に寂しい感じがするのと、人の死というものに対する思い

の違いのようなものを考えてしまうのです。人は死んだら終わりなのか。仏教の輪廻や死後の

世界(地獄・極楽等)だけでなく、日本人も人の魂はその家の守り神になると考え、祖先信仰を

してきた歴史があると思うのです。もう少し、人生と生死について考えてみても良いと思うので

す。遺言書ないし遺言は、相手方あってのものと以前投稿しました。しかし、その相手方という

のは必ずしも特定の相手方に限ったものではないと、私は考えているのです。勿論、法律上

の「遺言書」は相続人等の相手方がなければできませんが、事実上の遺言書であれば相手

方は必ずしも必要ではないからです。