先祖の調査、系図の作成は、先祖供養、自己探求、子孫への遺言等になると考えていま

す。お盆の時期になると、先祖の事を考える人も少なくはないのではないでしょうか。私も、

何時の時代、何処で、どのような先祖が、何をして、どうなったのか。等々、思う事も少なくは

ありません。ただ、生きていた時代の社会的影響を少なからず受けながらの先祖の人生には

現代人の価値観だけでは推察できないものも多いように考えられます。ただ、我々現代人は

現代に生きる者として、現代的感覚を少なからず用いながら推察せざるをえないと思います。

現代に生きる以上、この感覚を一切捨象する事は不可能だと考えます。例えば、我々は今、

千五百年前の事を考える時、「平安時代」という認識をするかもしれません。しかし、当時に生

きている人々は誰一人その時点の今を「平安時代」だなどと認識する人はいないのですから。

同様に二百年前の事を考える時、「江戸時代」という認識をすると思いますが、当時に生きた

人々も「江戸時代」など想像する人すらいないのです。勿論、できるだけ当時の社会事情に

従った認識をするように心掛ける事は出来るかもしれませんが、限界はあると思います。いか

に歴史研究が進んでも、その時代に生きた人々になりきる事が出来ないからです。なぜなら、

未だに歴史研究が進めば、従来の通説が覆り、新説・有力説がとってかわりうるからです。

私は、今日、ただただ、自分の先祖への思いを巡らせ、考え得る限りの事を感じています。