お盆の時期ともなれば、人、誰しも、生と死について、考える機会をもつものと思います。こ

の時期であるからこそ、大切にしたい思いでもあるのです。以前、投稿しましたとおり、私の

祖父も、父も、突然死で亡くなっています。祖父は遺言書も残しませんでした。事故死でもあ

り、おそらく自分が死ぬなどとは思っていなかったのでしょう。誤解をおそれなければ、私は、

まず、祖父が亡くなった日の夜、祖父の声を聴いたのです。それは、父も聞いたと言います。

確かに見たのです。祖父の葬式の日に、自分(祖父)の遺影(写真)を見ている祖父の姿を

確かに見たのです。正直、びっくりしましたが、手を合わせて拝むと、すっと消えて行ってくれ

ました。やはり、自分自身が死んだという自覚がなかなかできなかったのだと思います。そう

いう人は、「より丁寧な供養をしなければいけない。」と言われた事もあります。また、特に祖父

の場合、神経質(良くいえば几帳面)なところもありましたから、性格的にも丁寧な供養は大切

だと感じています。父親も突然死でしたが、父は遺言書を残しました。しかし、残し方がよくな

かったのか、名宛人にその遺言書が手元に届く事はありませんでした。父の場合、私は、何

かを聞いたり、見たりという事は、ありませんでしたが、父親らしき人の気配を感じた人はいま

した。やはり、突然死は何か自分自身が死んだ事を自覚できない事が多いように思います。

お盆の勤行はやらせていただきました。やらせていただけた事に感謝いたします。