先祖の調査、系図の作成は、先祖供養、自己探求、子孫への遺言等になると考えていま
す。幾度も述べましたが、先祖のいない人間は存在しませんが、家系図は、何処の家でもあ
るものとは限りません。むしろ無い家の方が多いかもしれません。それが普通という事なのか
と考えています。ある意味、持たなければならないものではなく、もっているとそれなりの価値
があるものだと考えています。この点、持たなければならないものではないのであれば、必要
のないものなのではないか。とも考える事はできます。しかし、社会において、持たなければな
らないものはそんなに多くあるでしょうか。おそらく強制的に持たなければならないものなどは
ほとんど無いのではないでしょうか(例えば、マイナンバーとかは半分強制か?)。運転免許に
しても取る取らないは任意ですし、選択的に必要性を各人が考慮して取得しているものの方
が多いと考えます。思うに、家系図にしても強制されて所持するものではありませんが、その
必要性の故に今日でも所持する家が存在するのではないでしょうか。では、昔々の話ではな
く、今日においても所持する理由は何故なのか。勿論、家系自慢的な事もあるかもしれません
が、私は、むしろ先祖を具体的対象化する為の助けになるからだと考えています。あまりにも
「ご先祖様」と思うだけでは、無意味ではないにしても抽象的にすぎてしまうからです。家系図
があって、先祖の存在を具体化できればそれだけ丁寧に供養できると考えています。