遺言書への思いが強い私ですが、最近また特にそれを強くする出来事が続いております。
実際、今年6月の状況から、7月上旬までは生きた心地もしないぐらいのものでした。今は、
亡父の元同僚の方の助けもあり、何とかなりそうな状況になりつつあります。逆に、窮地にあ
る元同僚に手を差し伸べられる事も出来るようになってきました。これも、亡父の御蔭である
と感謝しております。以前投稿しましたとおり、亡父の遺言書を私は読む事が出来なかったの
ですが、改めて残念無念の極みを感じております。これだけの遺徳を受けながら、最後のメ
ッセージを受けられなかったわけですから、よけいに気持ちが強くなってしまうのです。もし、
あの時、亡父の遺言書を受け取る事が出来ていたなら、もっと違う認識を持つ事が出来たは
ずなのです。これも運命なのかと受け入れ、諦める事なのか。今、生きている自分があるのは
明らかに亡父の御蔭、それを自覚してさえいれば、それだけでも良いのか。父親の思いを推
察しているところです。この現実の流れこそ、亡父の言葉や文字ではない遺言なのかもしれな
いと考える事も出来るのですが、その確信にまでは至らないのです。それは、自分の感覚で
そのように思いたいと考える自分自身の意識であり、父親から受け取ったものとまで思えない
からだと思います。亡くなってしまった人とのコンタクトは基本的には不可能でしょう。だから
こそ、私は勝手な自分自身の思いを亡父親の思いと同一には出来ないと考えるのです。