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高校の歴史の教科書から、「坂本龍馬」「吉田松陰」「武田信玄」といった、英雄の名前を消すという案が発表され、波紋が広がっている。

 

案を発表したのは、高校、大学で歴史教育に携わる教員らでつくる高大連携歴史教育研究会(高大研)。

 

話の発端は、暗記すべき用語数が多すぎるために、授業が暗記中心となり、学生が歴史を敬遠する要因になっているという問題意識だ。用語数を半分に削るという動きの中で、上記の英雄たちが"リストラ対象"に入った。

 

 

「実際の歴史上の役割が大きくない」!?

"リストラ宣告"の理由は、「実際の歴史上の役割や意味が大きくない」というもの。

 

つまりはこういうことだ。

 

幕末において「薩長同盟」を実際に行ったのは、両藩の重役についていた人たちであって、龍馬ではない。「大政奉還」も、実際に行ったのは徳川慶喜であり、龍馬ではない。龍馬が行った、夢を語り、関係者の心を溶かし、鼓舞して回ったなどという仕事に、「歴史学」として大きな意義を見出すことはできない――。

 

なるほどそれならば、龍馬のあの有名な逸話も、見方が違ってくる。

 

龍馬は、新政府の役職名簿を西郷隆盛・大久保利通に提案した際、そこに自分の名前を書かなかった。そこで西郷が、「あなたの名前はないのか」と聞いたところ、「世界の海援隊でもやりましょうかな」と答えた。

 

その無欲さに、多くの志士たちも、後世の日本人も、心を揺さぶられた。しかし、そんなことも歴史学的には「ナンセンス」ということになる。

 

龍馬はそんなことをせずに、役職に自分の名前をしっかり入れておけばよかった。京都では暗殺されないように身の安全を最優先して活動すればよかった。明治まで生き延びて、一つでも仕事をしていればよかった。

 

そうすれば後世、学問的に証明できる、「実際の役割」を果たせたかもしれない。

 

吉田松陰も、同じだ。11歳で藩主にご進講できるほどの秀才だったのなら、長州藩の要職にでも就いていればよかった。罪に当たる、海外渡航など、考えなければよかった。藩の"認可"のない塾などやらなければよかった。将来の総理大臣や政治家を何人も育て、「命を捨てて正論を訴え、志士たちを鼓舞する」などという、後世の実証に耐えない仕事など、しなければよかった。それよりも、要職に就いて、分かりやすい立場で、「実際の役割」を果たせばよかった。

 

極端なようだが、彼らについて「実際の役割は小さい」と言うなら、こういう話になってしまう。

 

彼らは、「名」を求めなかったからこそ、多くの人の心を動かし、歴史を変えた。しかし逆に、「名」を求めなかったからこそ、歴史を教える先生方に、「実際の役割は小さい」などと言われてしまっているのである。

 

 

「英雄の精神的な影響力」を軽視する戦後の歴史学

何を言いたいかというと、今回の案を出した歴史の教師たちは、「歴史における、偉人の精神的な影響力」というものを、あまりにも軽視しているということだ。

 

だから、用語を半減させるという話になった時に、上記の偉人の役割を「歴史の流れにおいては、幹ではない」として、切り捨ててしまう。

 

これは、戦後の歴史学の弊害と言える。

 

戦後の歴史学は、「ある偉人が発信した思想や精神が、歴史を動かす」という見方を、敢えて嫌う。非科学的であり、思想の押し付けや、個人崇拝につながりやすいという理由からだ。

 

むしろ戦後、「歴史は、物質的な環境が変わることで、何らかの集団力学が変わることで、動くもの」と考えられるようになった。例えば、「農業技術の発達により、収穫高が増え、支配階級と被階級の力関係が変わる」といった具合だ。

 

まるで、気象学が「上昇気流によって、水蒸気が上空で冷やされて水滴に変わり、雲ができる」と分析するようだが、まさに歴史は「社会科学」と言われるようになった。この見方は、マルクスの「史的唯物論」と呼ばれる考え方の影響を大きく受けている。

 

こうした中で、教科書では坂本龍馬や吉田松陰のような個人が、「精神的支柱」としての役割を果たしたという側面を軽視しているのだ。

 

そして、そもそも「集団力学」である歴史の中で、もし個人名を出すとするならば、「日米和親条約」や「日米修好通商条約」の締結に幕府老中として立ち会った、阿部正弘や堀田正睦などを教科書に載せるほうが、まだ正当性があるという話になる。

 

 

龍馬を消せば、歴史はますますつまらなくなる!?

しかし、まさにこうした歴史の捉え方、描き方こそ、「学生が歴史を敬遠する」原因となるのではないか。

 

そもそも、坂本龍馬も吉田松陰も武田信玄も、小説、映画など、数々のエンターテイメントの元になっている。歴史に興味を持ってもらう入り口となる人々である。

 

問題の案を発表した高大研は、こうした英雄を削除する代わりに、「共同体」「史料批判」「グローバル化」といった語句を加えることを提案している。ますます、授業がおもしろくなくなりそうに思えて仕方がない……。

 

 

「人物伝」が消えたのも、歴史がつまらない理由

また、歴史を「集団力学」のように捉えることは、こうした英雄の功績を軽視するのみならず、戦後の歴史教科書から、「人物伝」が消えることにもつながった。これも、「学生が歴史を敬遠する」原因となっている。

 

戦前の教科書には、「仁徳天皇が民のために税を減らして、倹約した逸話」「二宮金次郎が、貧しい中勉強し、各地で財政再建を成し遂げた話」など、人生の教訓になったり、手に汗握るドラマが多く掲載されていた。

 

20世紀のアメリカにおける代表的な教育思想家ジョン・デューイも「歴史的教材は、ある英雄的人格の生活と行為という形でまとめられる場合に、最も完全に、最も生き生きと子どもに訴えるものであることは、疑いのないところである」と述べている。

 

しかし、こうした人物伝も、「集団力学を科学するもの」である歴史の中では軽視されるようになった。

 

 

歴史の「精神的遺産」をあえて無視する教科書

歴史を学ぶ意味は、「集団力学の分析」をする以上に、先人がその生き方を通して遺した精神的遺産や教訓を、人生の糧にすることにある。

 

今回の騒動は、その精神的遺産や人物伝を、あえて無視する歴史教科書の問題点を浮かび上がらせている。

(馬場光太郎)

 

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