もし「永遠に病気にならない体」があったなら?

-連載第1回-

いくら無理をしても、ずっと健康でいたい―。

「永遠に病気にならない体」は、人間の古来からの夢かもしれません。ここでは全3回の連載で、大川隆法著『超・絶対健康法』(大川隆法著)からコラム「健康と幸福へのヒント」をご紹介します。


もし、「永遠に病気にならない体」があったなら? 人間にとって、「病気を治したい」と願うのは、ごく自然な感情でしょう。幸福の科学でも、治せる病気については、宗教の立場から、なるべくその手助けをしていきたいと思っています。
ただ、一方では、仏教で説かれているように、「病気と死は、避けがたいものである」ということも事実です。

人生の途中でかかる病気を一時的に治すことができたとしても、最終的に、死から逃げることはできません。

老衰で亡くなる人もいますが、たいていは、何らかの病気で亡くなるでしょう。それは、人生における運命として受け入れなければならないところがあるのです。

その部分だけを取り上げると、悪いこと、不幸なことのように見えます。しかし、「人は何度も生まれ変わっている」という転生輪廻の観点を含めた、大きな大きな人生の真実から見れば、それ自体が慈悲の一つなのだということも知る必要があります。

もし、「永遠に病気にならない、頑丈な肉体」というものがあったとすると、どういうことになるでしょうか。

例えば、二十世紀の初めに、アメリカでT型フォードという車が開発されましたが、もし、その車が百年たった今もまだ道路を走っているとしたら、どうでしょうか。それを考えてみるとよいのです。

今は、トヨタのハイブリッド車などが走っている時代です。T型フォードが、殴ったり蹴ったりしても傷まないぐらい頑丈で、いつまでたっても壊れない車だったとしても、やはり、どこかの時点で、「新車に替えたい」と思うのが普通でしょう。

世間の人々は、時代のニーズに合った性能を持つ新車にどんどん乗り替えていっています。必ずしも「永遠に滅びないもの」が良いわけではないということです。

それと同じように、人間は、新しい魂修行をするために、その時代の人生計画や職業に合った新しい肉体を欲するのです。

そういう新しい選択が働くということが一つの幸せであり、その幸せの代償として、古いものは滅びていくわけです。

新車が、やがて中古車になり、廃車になっていくように、肉体も、古くなると、滅びて死んでいきます。

いつまでもそのままでは困るのです。人間は、何百年も生きるわけにはいきません。

なるべく健康で長生きできるように努力することは、大切な心がけです。ただ、「『いつかは病気になって死ぬ』ということも、大きな計画のなかでは一種の慈悲である」という事実を受け入れることも大切なのです。

健康と幸福へのヒント1/『超・絶対健康法』より