朝鮮半島南部で、中広形銅矛などの倭系遺物と呼ばれる考古資料が出土した。慶尚南道金海市の首露王陵付近には、大成洞や良洞里古墳群がある。発掘調査によって、これまで日本人の特殊な呪術的文物と考えられてきた巴型銅器や鏡が出土した。大和朝廷が朝鮮半島南部の任那に日本府という役所を置き、支配していたとする学説が有力である。

 

 

 3世紀の朝鮮半島        4-5世紀の朝鮮半島       5世紀末の朝鮮半島

は慶尚南道金海市の首露王陵付近。

※楽浪郡は前108年-313年、帯方郡は204年-313年、古代中国によって朝鮮半島に置かれた軍事、政治、経済の地方拠点。

※任那(加羅、伽耶、金官加羅)は6世紀中頃、新羅に滅ぼされる。

 

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中国

 

文献

・『三国志』 成立時期は280年以降とされる。

・『職貢図』 原作526年-539年頃。 

 

『三国志』 魏書 東夷伝 韓条
<韓は帯方郡の南にあり、東西は海を限界とし、南は倭と接し、四方は四千里ばかり。韓には三種あり、一に馬韓、二に辰韓、三に弁韓。>
・韓と倭が接していると記述している。

 

『三国志』 魏書 東夷伝 倭人条
<倭人は帯方の東南大海の中にあり、山島に依りて国邑をなす。倭国には、もと百余の国々があり、今、使役を通じるところは三十国。韓国を経て、南に東に進み、その北岸狗邪①韓国にいたる七千余里。はじめて海を渡り千余里行くと、対馬国に着く。1000余戸がある。対馬国の土地は山が険しく、森が深い。道は獣道のようだ。良田はなく、海産物を食し自活し、船を駆って南北に市糴(交易)をしている。(帯方郡から邪馬台国に至る行程が示される)>
・対馬から邪馬台国までの国の数が29。狗邪韓国から数えると30国になる。
①加羅の意。

『梁​​​​​​​職貢図』
<斯羅國は元は東夷の辰韓の小国。魏の時代では新羅といい、劉宋時代には斯羅というが同一の国である。あるときは韓に属し、あるときは倭に属したため国王は使者を派遣できなかった。>

 

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日本

 

文献

・『古事記』 712年、太安万侶が編集。
・『日本書紀』 720年、舎人親王らによる編集。

 

『日本書紀』 垂仁天皇 
・金官加羅国王の子である都怒我阿羅斯等は帰国の際、祟神天皇の別名である御間城(ミマキ)天皇の「御名(ミナ)」を国名にするように命じられ、弥摩那(ミマナ)国と名付けた。

 

『日本書紀』 継体天皇 
<任那の日本の直接支配する地にて、百済から任那に逃入した者を、三、四世にまで遡って百済に送還する。>


『新選姓氏録』 右京皇別 新良貴条
<彦波瀲武鸕鶿草葺不合尊男稲飯命之後也。是出ニ於新良国一、即為ニ国主一。稲飯命出ニ於新羅国一王者祖合。日本紀不レ見。>
・鵜草葺不合尊の息子である稲飯命が、新良国へ行って国王になると解せる。 


『古事記』 応神天皇
<新羅の阿具沼のほとりで、女が日の光にホトを刺されて妊み、赤玉を生む。その様子を見ていた男は赤玉を貰い受け、肌身離さず持ち歩いていた。男は牛を殺そうとした嫌疑を受け、赤玉を天乃日矛①に与える。赤玉は女となり、天之日矛の妻となる。妻は親の国の日本に渡り、難波の比売碁曾社の阿加流比売の神になる。天之日矛は妻を追って来るが、難波に入れず但馬国に留まる。>
①天日槍。
 
『但馬故事記』
<天日槍は、新羅王の子。祖は秋津州(日本の本州)の王子である稲飯命で、天日槍で五世に及ぶ。秋津州に帰りたいと欲し、わが国を弟の知古に譲り、この国に来たる。 (中略) 葛城高額命は、息長宿祢命に嫁ぎ、息長帯姫命を生む。息長帯姫命は、いわゆる神功皇后なり。>

系譜    
                     玉依姫 
伊弉諾神         |---瓊瓊杵尊---山幸彦                         彦五瀬命 

    |---天照大神---忍骨命           |---鵜草葺不合命      稲飯命   → ①
    |---海神-------------------------豊玉姫      |----------三毛入野命
伊弉冉神                                               玉依姫------                  神武天皇 → ②

 

① 天日槍---母呂須玖---斐泥---比那良岐----比多訶-----葛城高額比売
                                                                                        |--神功皇后--応神天皇
 

② 開化天皇--日子坐王--山代之大筒木真若王--迦邇米雷王--息長宿禰王

 

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朝鮮半島

 

文献
・『三国史記』 1145年完成。朝鮮半島に現存する最古の歴史書。

・『三国遺事』 13世紀末に高麗の高僧、一然によって書かれた私撰の史書。

 

『三国史記』 初代新羅王 赫居世居西干
<山の麓の蘿井(現、慶州市)の林で、馬の異変に気がついた蘇伐都利(ソボルトリ)が見に行くと、大きな卵があった。卵を割ると男の子が出てきた。村長たちは男の子に徐那伐(ソナボル)、徐伐(ソボル)という国号を与えた。今、京の字をソボル(徐伐)と訓読みするのは、これ故である。あるいは斯羅(シラ)、斯盧(シロ)ともいう。>

<沙梁里の閼英(アリヨン)の井戸の中から鶏龍が現れ、井戸の脇から女児が産まれた。女の子の唇は鶏のくちばしに似ていたが、月城の北川で洗うと抜け落ちた。女の子は閼英と名づけられ、赫居世の王妃となる。>


『三国史記』 新羅第四代王 脱解尼師今
<倭国の東北一千里のところにある多婆那国①の王が、女人国の王女を妻に迎えた。王妃は妊娠し、7年後に大きな卵を生んだ。王は卵を捨てるように言ったが、王妃は卵を絹に包んで宝物と一緒に箱に入れて海に流した。箱は辰韓の阿珍浦(現、慶州市)の浜辺に打ち上げられ、老婆が箱を開けると中から男の子が出てきた。立派に成長した男の子は大輔の位について軍事、国政を委任され、遺命に従って王位につく。>
①丹波国、但馬国、肥後国などの説があり、『三国遺事』ではその出身地を、龍城国と記している。

 

『三国史記』 新羅の金氏王統の始祖 閼智

<脱解尼師今の9年(65年)、首都金城(現、慶州市)の地で鶏の鳴き声を聞いた。瓢公(倭人)に調べさせると、木の下で白い鶏が鳴いていた。木の枝には金色の小箱が引っかかっていた。小箱を開くと中から小さな男の子が現れた。脱解は男の子を育て、国号を鶏林(シラキ)と改めた。後世、この号を新羅と定める。>


『三国遺事』 金官加羅国の始祖 首露王
<朝鮮半島南部は未だ国というものがなく、九人の干が連合し民を治めていた。42年、亀旨峰から不思議な声が聞こえてきた。九干たちは言われたとおりに歌い踊ると、天から紫色の紐が降りてきた。紐の先には紅い布で包んだ金の合子があり、中には太陽のように丸い黄金の卵が六個入っていた。翌日、六個のうちの一つが孵り男の子になっていた。十日程で背丈は九尺になり、その月の十五日には王として即位した。彼の国を大駕洛または金官伽耶と称す。残りの五つの卵からも次々男の子が孵り、それぞれ別の五つの伽耶の王になった。>