【 仮説 】

神様(見えない世界・大きな力)は存在する

 

 

 

 

【 私の願い 】

豊かで幸せで、甘々な人生を生きる

 

【 大前提:勝手に決めている神様の設定 】

神様は無限の豊かさを持っていて、私がその豊かさを受け取ったところで、神様は痛くもかゆくもない。

(お金や人とのご縁、叶えたい夢など、私にとって心地よい段取りで、最高のものを届けてくれる。)

 

・神様は私を豊かで幸せにするルートを知っていて、私を導いてくれる。

 

・神様の持っている私を幸せにするための計画(ルート)は、私の思考では及ばない。

(だから頭で考えすぎる必要は無い。)

 

・宝探しをするように、神様からのサインを探し、受け取るだけでいい。

(受け取るだけでは忘れてしまうので、記録を残すことにする。)

 

・この世界はすべてエネルギーでできており、振動している。

 

・視覚的なイメージができなければ引き寄せは起きないと言うのなら、そういったイメージができない私は一生、引き寄せを楽しめないことになるが、そんな不平等なこと、神様(宇宙)は絶対にしない。

 

 

【 実験で得た私流引き寄せのコツ 】

・「神様が豊かで幸せで甘々な人生にしてくれると決まっている」と信じ、それに安心すること。

 

・ いま目の前にあることだけに目を向け、雑念をなるべく少なくする(脳内お花畑状態)と引き寄せが起きやすい。

 

・ コーヒーをオーダーするように神様(宇宙)にリクエスト(時には丸投げ)すれば、神様が私にとってベストなものを届けてくれる。

 

・「ある」を見るじゃなく、「ない」をスルーする。

 

・ 困った時は神様に丸投げし、なるべくいい気分(楽しい、心地いい、落ち着く、マインドフルネス…)で過ごし、解決を待つ。

 

・ 日常的に自分の思考と感情をとことん観察し、どんな思考も感情も善悪をジャッジせずに許し、認め、受け止める。

 

 

 

【 実験内容 】

文通がしたいと思う

 

私は人と関わることが苦手だけれど、文章でのやり取りは好きだ。

 

チャットは得意じゃないけれど、文通のようなやりとりは特に好きである。

 

言葉をじっくり選ぶ時間があるし、自分のペースで読んだり送ったりできる。

 

 

「レイター」というアプリを使うようになったのも、そういう理由だ。

 

 

このアプリはアプリ上で短い日記を書くことが出来、それを他の人が読むことが出来る。

 

気になった日記があればその内容に対して「手紙を書く」。

 

最初の手紙はすぐ届くけれど、返事はランダムに数日後に届く。

 

 

このゆったりとした時間の流れがとても好きで、愛用している。

 

 

【 実験結果 】

ものすごく久しぶりに趣味趣向、波長の合う人と出会い、ゆったりと文通を楽しんでいる

 

引っ越した新しい部屋は森が近くて毎日バードウォッチングをするのが日課になった。

 

引き寄せの法則が好きなこと。

 

今の私のキーワードはその2点だろうか。

 

 

レイターでの日記は、主に森と野鳥のことばかり書いていた。

 

美しい声の鳥が居たこと、森を散歩したことで植物にも興味がわいたこと…。

 

新しい土地での新しい暮らしで得た新しい興味について書いたり、他の人日記も読んでいた。

 

他の人の日記はTwitterのツイートのようにアプリのホーム画面に更新されていくので、気になった日記があれば読み、ときどきは手紙も書く。

 

 

そうしたら先日、「あなたの日記を読むのをすごく楽しみにしていました」という手紙を受け取れた。

 

 

手紙を送ったのは私で、相手は私と同じように野鳥が好きな人だ。

 

アカウントの名前も野鳥になっていて、その人に出会ったあたりから、その鳥の声や姿を目にするようになる、というやさしい引き寄せも起きている。(このブログを書いていた時も外からその鳥の声がしていた。)

 

 

他にも2人文通をしている人が居るが、どちらの人も波長が合うのか、とてもやりとりが楽しい。

 

掃除の話、断捨離の話、引き寄せの話、森の話…。

 

「手紙」という形だから、「ここで何か質問しなくちゃ」とか「どういう感想を伝えたらいいんだろう」とか肩に力を入れる必要がない。

 

じっくり言葉を選べばよいのだから、自然体の私で居られる。

 

 

「文通がしたいなあ」と思って出会ったこのアプリは、まさに私の理想そのものだった。

 

ゆっくりやり取りができるということが、本当に嬉しい。

 

「早く返さないと」と思わなくていいし、文章が長文になってしまったとしても、むしろ喜ばれる。

 

 

ふんわりと「文通がしたいなあ」と思った結果、私は理想の文通方法を手にすることが出来た。

 

やっぱり願いがある時は、適当に願うに限る。

 

細々と設定をしたり、「あれもこれも」と詰め込むのではなくて、「こういう感じがいいなあ」というふわふわ感が私の肝なのだと思う。