保育園児90人「奇跡の脱出」伝承…あの日も津波訓練中「早ぐ、早ぐ!」 | 日々よき日記<Subconscious Comes True>

保育園児90人「奇跡の脱出」伝承…あの日も津波訓練中「早ぐ、早ぐ!」


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これはスゴイ!というか、素晴らしい!!
保育園児といえば、
普通で考えたら、大人一人に両手に2人、
背中に一人背負っても、
そんなんで、逃げても息絶え絶えで、
とても90人なんて無理!!!

一人も欠けることなく逃げられた!
ってのは、これは奇跡に近い!

保育園の建物そのものは、門を除いて全て流されている。

これは、素早い職員たちの誘導、指導者たちの日ごろの意識が
奇跡を起こさせた!ってことだね。


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保育園児90人「奇跡の脱出」伝承…
あの日も津波訓練中「早ぐ、早ぐ!」

東日本大震災の発生時、ちょうど避難訓練の準備をしていた保育所があった。岩手県野田村の野田村保育所。建物は津波で無くなったが、約90人の園児と14人の職員は全員無事だった。保育所は月1回のペースで避難訓練を行い、常に津波を意識していた。なぜ、そこまでの備えができていたのか。(梶原紀尚)

背中に乳児くくり「早ぐ!」


 三陸鉄道のねじ切られたレールが津波の威力を示していた。保育所の建物があったはずの場所には、片側の門扉だけしかなかった。人口約4700人の野田村では震災で28人が死亡。450戸以上が全半壊するなどの被害が出た。

 震災当日、午後3時から毎月恒例の避難訓練を予定していた。訓練は火災、地震、津波の3つの想定で行われており、津波訓練の場合、15分以内に約500メートル離れた「高台の家」に避難する段取りだ。

 主任保育士の廣内(ひろない)裕子さん(53)はこの日、園児たちの昼寝をいつもより早く切り上げ、着替えをさせていた。そのとき地震が起きた。

 廣内さんは激しい横揺れに耐えながら「大地震が来たら『源平坂』に逃げろ」という地元の言い伝えを思い出していた。源平坂は避難場所からさらに奥にある高台へと向かう坂。登り切れば津波でも安全だとされていた。


「逃げよう!」

 0歳児はひもで背中にくくり、1歳児の10人は保育所で「避難車」と呼ぶ大型の乳母車に乗せた。そのあと、上履きのままの園児たちが続いた。


 500メートルほど進み、避難場所である高台の家にたどり着いたが、黒々とした波の塊が防潮林を超え、海岸沿いの国道を走る車をのみ込もうとしていた。高台の家も危ないかもしれない。


 「早ぐ、早ぐ!」


 一行はさらに約500メートル離れた源平坂を目指すため、ビニールハウスの間を突っ切ろうとした。避難車のタイヤが畑にめり込み気持ちが焦ったが、必死で走り源平坂を登りきった。そのとき坂の登り口で津波が止まったのが見えた。


 乳幼児を連れて逃げるのには時間がかかる。保育所では訓練で周到な準備をしていただけでなく、職員らは避難場所についても油断せず、最善を尽くした。


 幼いころの十勝沖地震の経験や「源平坂」の言い伝えに助けられたという廣内さんは「教訓を次の世代へ伝えていくことが大切」とし、次のように語った。


 「津波の怖さはだんだん薄れる。先祖や親から教えられたように、子供たちや若い職員にも伝え続けていかなくてはならない」

http://sankei.jp.msn.com/life/news/110428/edc11042814480002-n1.htm


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