2019年12月1日の日記より

 

 

たぶん今日がお部屋での最後の日記。全部で15品、皆様ありがとう。そしてこの部屋にいつも「きたよ」してくれた友さんたち、本当にありがとうございました。そしてそして、日記を付ける=単純な文章(文学的表現を用いれば精神の躍動)を生み出すという機会をくださった藤田社長、およびアメーバの運営の皆様、ありがとうございました。時折混乱することもありましたが、とても楽しかったです。

 

思えば遠くへ来たもんだ、ピグで遊んで早4年。光陰矢の如し。あっという間の4年間でした。この間にお人形さんとはいえ、大勢の方々と巡り会って、別れて、新しい縁を作って。4年前を思うと、迷走状態であったリアルのワタクシも、現在は茄子がママ、胡瓜がパパといった心情で、これから来るであろうビッグウェイブに怯えは無い。ザブ~ン!

 

 ※今(15時45分)、You TubeでBGMを流して作業しているのだが、このタイミングでフランク・シナトラの『My Way』がかかっている!凄いw

 

人は成るようにしか成らない、ということをピグで「フツーに接して」学んだわけです。ここ数週間、古い日記を読みなおして、かつて出会ったピグ友さんたちを思い返して再び思うことは、「こんなちっちゃな人形にも人柄が出る」という言葉。これは出会った皆様の殆どがおっしゃっていた。選ぶ衣装、メイク、行動言動、お友達の作り方まで。実際のリアルと大して変わんないのでは?

 

もしかしたら今着ているワタクシの衣装も、妙に懐かしいというリアルの脊髄に埋め込まれたDNAなのか、はたまた地霊による揺さぶりなのか、または生まれ変わりという輪廻が本当にあるのなら、そのいずれかまたは全てによって今日の衣装とメイクを無意識に選んだのかもしれません。リアルが生まれるよりもっと遠い、過去よりも遠い世界が選ぶ。

 

 

人間は大きくなるにつれ自分の存在理由を考え始めます。リアルのワタクシも、ここで遊んでいた『るうの』も他者という存在を知る度、【何故なぜWHY?】ということにかなり遭遇しました。こんな小さな人形でも動かす人がいて、人間社会と同じように喜怒哀楽の感情を抱き、それが喜びや時に悲しい思いに遭遇するのです。その度、自らに問う。

 

そして、ライフやアメーバのお部屋で頂いた衣装や調度品からもその何故の揺さぶりは続きました。お間抜けな着ぐるみは笑いとユーモアをも共に贈ってくれた。そして一般社会に暮らしていれば手に入れられない職業の衣類、今日着ている陰陽の巫女の衣装だって運営さんの粋な不思議なはからいで計画されていたんだろうし。手に入れてそして思う。

 

 

「なぜこのタイミングで手に入れられたのだろう?」とか考えちゃったりしてね。人間界では「頂く物は夏も小袖」という諺がありますが、貰えるもんは季節外れでも貰っちゃえという意味です。ただね、この衣装において非常に不思議な体験を一度しているんです。それはやはり巫女の衣装についてでした。話せばちょっと長くなりますがお付き合いを……。

 

それは数年前のこと。毎月、月初めの一日にはダブった衣装や家具は倍の数の飴ちゃんが貰えることを、ここで熱心に遊んでいらっしゃる人はご存知だと思います。飴ちゃん2倍day。ある月の一日もワタクシはチマチマとダブり服を飴に変えていました。そしてなんと大切にしていた赤袴の付いた巫女の着物をボーっとしながら飴に変えてしまったのです!時すでに遅し。

 

不思議だったのは、ありえないことをした時というのは時空の歪みが起こるというか、グラグラって意識が遠のくというか…SF映画のように画面が波打つような、ちょうどそんな感じになっていたんです、飴に変えるクリック押す直前。だってありえないもん!大事にしていた衣装を飴にする…愕然とするリアル。しかし神は我を見捨てない。丁度その頃、ガチャで太古の衣装があった!

 

仲良しピグ友さんならワタクシの事をよく知っている。コイン換金しない女(運営さん、シャチョさんごめんなさい^^;)。ちまちま貯めたドットマネーで遊ぶ女。なので太古の衣装の中に似たような巫女の衣装があったとしても無い袖は振れん…。一回ぽっきりの勝負や、と覚悟決めてお金入れてガシャンコ!おお~天の助け、一発で仕留めた!

 

 

そしてリアルは「何故赤と白の巫女の衣装が消えて新しく太古の巫女の衣装が来たのか」をずっと考えた。確かに飴ちゃんにする時にSF映画の様な波打つ空間の歪みがあったのだ。だからあり得ないことをしてしまったわけである。そして思うのだ。「一体誰がこの太古の巫女であるこの衣装を求めているのか」ということを。ねー謎でしょ?

 

 

最後に。何故か以前出会ったピグ友さんの中に、ワタクシとチャットしていて突然トランス状態になる方もおられました。その時、リアルは興味深く相手の語ることを受け留めました。後日、そのことはリアルが信奉する神様とものすごい縁がある、とか夫の祖先が分かったとか、お互いに蛇呼んじゃったりとか、色々オカルトめいていました。ちなみにチャットしていた時は、ほとんど、真夜中から明け方にかけて、でした。

 

 

夫の祖先の秘密が分かった時、実を言えば夫の実家がゴタゴタしていた時期と重なり、リアルは年中夫婦喧嘩をしていて(~_~;)。別れちゃおうかの瀬戸際まで来ていましたwなので平安時代から綿々と続いていた祖先の流れを知って驚愕と共に、リアルはこういう運命だったのだと改めて覚悟したのでした。だから赤と白の巫女の衣装は消えたのだと。

 

その気付きを与えてくださった(たぶんリアル実際も霊感とても強い方たち)ピグ友さんには頭が上がりません。ただ、これも不思議な事に、皆様、遠い彼方というかお役目が済んだからなのか、自然と別れてゆきました。ただ気付きを与えてくれるだけのためにピグで出会ったという…。ここでも【何故ワタクシはピグにやってきたのだろうか】という答えが隠されていたと思います。

 

そしてライフでも同じく。ワタクシのプラザは現在まで15名が所属しており、るうのがリーダーでした。数年前まではわりと皆さんいらしていたのですが、最後のイベまで残ってくださったのは、たったの一名=ツバサさんのみでした。残りの方はもはやインもされていない状態でした(~_~;)。

 

ツバサさんが居てくださったおかげでプラザの収穫量が増え、増える水や金の粉が貰えるようになったのです。その意味も深く考えました。ほぼ一人で動かしていたプラザ、そこにツバサさんが突然やってきて二人で富を増やす、その意味を考える。こういう組合せもあるのだなという、互いの存在が富を、豊かさを生み、達成感を得るという関係性をピグライフで学びなおす。

 

何故自分は存在するのかの理由も再び思う。人との繋がりの不思議を思う。そして、出会いと別れもまた重要な意味を持つことを知る。アナタも、ワタクシも、自分の人生という輪廻を回り続ける。それはアナタだけの人生でもありワタクシだけの人生でもあり、また世界と歴史を作る皆の人生でもあることを再び知る。お元気で!ご馳走様でした!

 

 

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以上、日付が変わって打ち込んだ本日2019年12月1日の日記です。

 

白い上着と赤い袴の巫女の衣装は失ってからというもの、ご縁が無いようで二度と手に入れることはありませんでした。今持っている巫女の衣装は《古代紫》というのでしょうかね。薄い青みがかった紫の袴と白い衣、冠は自然の素材である花や葉を付けています。

 

私自身、神道とは全く縁の無い家系で生まれました。なので、この太古の巫女の衣と、現在の神社が用いている赤と白の巫女のそれとの違いはよくわかりません。ただ、カミを祀るという意味は、古代と現在とはかなり異なっていることは本能的に理解しています。古代は自然と対峙する、受け入れる、驚異と脅威の世界観を持つ等々。

 

古代紫について昨晩調べていた所、これは江戸時代になってから生まれた色とありました。江戸の人々が、この色あいが古代に在ったであろうと作りだした色なのだそうです。紫は禁色でもあり、また高貴の印でもあり、スピリチュアルな意味では霊感を表すとありました。また、赤と青といった(女性的な色と男性的な色)が交じり生まれた色でもあります。陰陽の色。

 

さて、まだ過去に書いた日記をまとめる為、チブログは続きますがピグの中で書いていた日記はこれで最後となります。日記でも述べましたが、観念をまとめるといった機会をくださったアメーバ運営と藤田社長には本当に感謝しております。実は、リアルの私が日記を書くと―ものすごく捻くれた観念だらけ―になってしまい、とても表に出せるような文章になりません。対向に読者が存在するという見方があれば、そこで相手に分かりやすく伝える姿勢が生まれます。

 

文豪、文学者、時には哲学者や歴史上の人物たちの日記を仕事上、随分読んできました。彼らが日記を残すというのは、単に自分の内面を吐露するだけではなく、そこに生きた証としての時代があったことを知らせてくれます。そして日記を書く人の特徴として、私が知ったことは「彼らは読む人に向けて発信していた」という事実でした。歴史の証言者でもあるわけです。そして残念ながら、この文章を書ける人は時代が用意し数も極めて少ないということでした。

 

私は、ピグの日記を綴っているとき、自分自身を知ることも多かったです。根が楽天的で笑う事が好きというスタイルもよく表れていたと思います。実際の私と逢えば、おそらくその表と中の違いに驚くことでしょう。

 

人はなぜ記すのかという問いの答えもあるかもしれない我が日記。話題をくれた友さん、コメントを寄せてくださった友さん、現実社会で出会った様々な人達、皆さん本当にありがとうございました。出会った歴史として、私は日記を綴り続けていたのかもしれません。最後に、まだピグが終了するというニュースが無かった去年の暮れの書きぞめ二枚を載せます。これも、ちびっ子るうの予言めいていたなーとw。

 

 

2018年12月28日の書道より 【逢】

 

というわけで、『逢』、この字の逢うには人だけでなく物や事などとも対面するという意味が含まれています。皆様にとっても来年がより良き出逢いが多くありますようにと、ここに祈願しておきます。

 

 

2018年12月29日の書道より 【進】

 

昨日のワタクシの心情(^O^)。まあ、考えてみればアホですよね~。前進前進また前進。ということで日記ご覧の皆様へも来年より良き方向に進みますようにという願いを込めて☆「ゼンターイ、ススメ!」