2018年1月23日の日記より

 

 

皆様、お食事デザートありがとう。鼻のかみ過ぎで皮が剥けてしまいました(~_~;)。鼻詰まっていると何食べても美味しくないのよね~。ということでリアルは食事どーでもよい。ピグではたんまり食べます。さてワタクシのこの格好、先祖に居るといわれている秋田おばこをオマージュしてますが、先ほどとても興味深いブログ読みました。

 

 

 

撮影中にピグ友トーマさん来室なり。この後の対話が面白いので続けて観るだよ、皆の衆。ワタクシが風邪っぴきなのでお見舞いに来て下さったのだ。それもドクター姿で。しかしこの後のチャットがとてもマニアックな内容で流石ヲタクがペアを組むとこういう会話になるのかと(~_~;)。きっと二人が身体能力抜群でペアスケートやったら曲技だらけやw。

 

 

この対話は昭和の有名なNHK少年ドラマシリーズの『ねらわれた学園』なのだ。薬師丸ひろ子や原田知世のぢゃないよ。もっと古いぞ。正式な題名は『未来からの挑戦』。ここに出てきた飛鳥という少年役をやった熊谷俊哉は、主人公達を差し置いて一番人気になってしまったのだ!平成流ヤサ男ぢや無く、芯の強そうな少年が持てはやされた時代だったのだ。

 

 

高見沢みちる、アルフィーじゃないぞ(~_~;)。みちるは美人なのだがドラマの中では悪役を演じておったのだ。今検索したらこんなだったっけ?という記憶の改ざんに出会ってしまった(~_~;)。もっと美少女のイメージがあったのだが。小学生から見たらセーラー服のお姉さんは何故か全員美人に見えるのだよ。おぢさん達と同じ感性だなw。

 

 

さて秋田おばこの話に戻ります。あったらいいな~のおばこDNA。父方に秋田の人が居るらしいのだが、もう鬼籍に入ったので調べないとわからん。おばこで思い出すのが木村伊兵衛というカメラマンが撮った有名な一枚、『おばこ』というのがある。このモデルになった女性を先ほど検索したら、嗚呼意外な事実が判明。この方も既に鬼籍に入られたとな。

 

『秋田美人』または『秋田おばこ』で検索すると必ず出てくる、野良作業着で編傘をかぶった美女の人生。お名前が公表されているのでいいよね、柴田洋子さんとおっしゃる。この木村が撮った柴田さんの写真が秋田の美女、しいては秋田県をイメージする伝説レジェンドとなった一枚なのよね。美人の国を定着させた伝説となったわけです。

 

火と水、全く異なる物が組み合わさってカミとなるように、木村と柴田さんの組み合わせは神話となったわけである。柴田さんのその後はバレリーナの教師として、また御結婚されて主婦となり渡米、かの地で暮らしたと。お亡くなりになった後も秋田=美女の宝庫という伝説を生み出した御当人ということで、あのおばこ写真が色々な所に飾られた美しい人生だ!

 

 

おお、ピグ友トーマさんのお宅に参上。氷嚢(ひょうのう)があると聞いてすっとんできました。氷嚢、もはや死語だよねぇとさっきも語り合っていました。ワタクシの記憶だとこれ最後にしたのが幼稚園頃だったかな。ゴムの水枕とペアで使うといいのだろうが、一緒に使った記憶はその一度きりのみ。後は水枕単独だったなぁ。懐かしいなぁ。一緒に寝てたぬいぐるみももう居ない。

 

 

というわけで氷嚢の図。ワタクシの幼少期は、寝ているベッドの頭の周囲にぐるりと多数のぬいぐるみが寝てまして、中でもお気に入りは母が作ったクタクタのタオルのうさぎ。これが無いと大パニックでしたw今ではぬいぐるみの代わりに本やら辞書やら、メモの端切れが散在しております。三つ子の魂ざんすね(~_~;)。

 

 

 

 

2019年5月3日の日記より

 

 

令和初記念日記!皆様御馳走ありがとうね~。平成終焉近くから滅茶苦茶忙しくなってしまって(~_~;)。歩き過ぎてスニーカーぼろぼろ状態です。当たり前だけど、ほぼ毎日一万歩以上歩くとお洒落なスニーカーは持ちませんよ。そして、令和になったので真面目にお金儲けもしますと宣言。植木等の歌じゃないけど「♪金の無い奴は俺んとこへ来い。」

 

 

しかし、あの歌の続きは俺も無いけど心配すんな。うん、保証無しで金は誰も貸してくれん。というわけで色々考えは巡らせている令和元年。そういえばピグ友トーマさんが「るうのちゃーん、令和に関して何か書いて~」とおねだりしていたので、ここに記そう。といってもたいした内容では無い。世にはびこる賢人たちは既に令和に関して記述しているわね。

 

まあ、適当な与太話として軽く読んでくだせい。それは平成も終わる数日前のこと。ワタクシのベッドの周りはマンハッタンの高層ビル群の如く本が積み重なっておると想像してみてくれたまへ。このベッドに愛猫は毎晩寄り添って寝てくれる。そして昼間は気まぐれ(自分の好きな所が幾つかある)で寝たり寝なかったり、の極楽お気楽猫である。

 

さて平成も終わる数日前、猫が昼間、どうやらベッドで寝たような跡があった。そしてそこに飛び乗る前にマンハッタンから一冊だけ本を落としてくれたのだ。床の上にはその一冊だけ「ポン」と置き去りにされていたのだ。はてさて、何の本でせうかと皆の衆、興味津津だろう(否、ぜーんぜんという声もありき)。その本は石川淳ジイちゃんの本だった。

 

 

石川のジイちゃん…かつてこの日記内でも記したようだが、どうもワタクシと非常に親和性が強いというかなんちゅうか本中華。霊界通信で色々デムパを送ってくださるありがたいおじいちゃまだ。しかし作家・石川淳を検索すればおわかりだろう諸君。じいちゃんはとっても賢い神童さんだったのだ。その文章はどこをほじくっても予言めいているのだ。

 

さて、石川のじいちゃんが今回送ってくれた霊界通信デムパ。それは猫が蹴っ飛ばして落としてくれた本にある。タイトルは『至福千年』。ワタクシ、この本を閉店セールにて知人の店から買う。昔は文庫本で持っていた。石川じいちゃんの本は色々持っていたが、これは奇遇にて遭遇して震えて買った本なので、今回も床の上に見つけて「えええええ」とひっくり返る。

 

うちの猫は黒と白のツートンカラーですけどね。腹のところは丁度白い。なので決して腹黒ではない。そんな彼女が蹴っ飛ばしてくれた『至福千年』。この内容をゾワゾワしながら思い出す。石川じいちゃんからの令和の予言なのかもしれん。お話は幕末の動乱と下剋上、宗教戦争とオカルト合戦と庶民の「ええじゃないか」暴動間際で幕閉じるのだ。

 

なんか今、この石川淳の至福千年の感想を書いてくださった人々のブログを読んで日記書いてますが…中には大江健三郎と筒井康隆が一緒になった作家と申している御方もおられて。まあ筒井好きな人にはたまらん世界観かもしれない。誰か映像化アニメ化してくれないかなーっていつも思っているもん、特に『狂風記』。今どきの令和の若者にも受けるよの魔術世界!

 

ピグ友トーマさんはとっても優しい人なので、今後を心配してこのワタクシに予言をさせているのかもしれませんがねw。ただし、この小説に出てくるのは殆どオトコなので、きっと男性社会はこんな風に嵐の中に巻き込まれていく人も多くいるかもねー。そして幕末といふのは案外女性達はしっかりした人が多かったというか、「そうせざる得なかったやんけ!の激怒マーク付き」な時代変化の頃だったし。

 

 

この至福千年の中のカオス感と上の世界のカオスはリンクしているっつか、我々庶民はええじゃないかをすればいいだけなのだ。ネット社会でその「ええじゃないか」の反乱は既に起こっている。これが加速してそれこそ老若男女全てが唱和し動き出すのだ。今まで税金でのうのう暮らしていた連中はここでリバーシ・オセロゲームのような目に遭うのだクルリンパ!

 

令和の和の字は唱和の輪、ってことでよござんすねトーマさん。そんでもってワタクシを初めとしてへそ曲り群団はたぶんずいずいずっころばしでもやりながらトッピンシャンと扉を閉めてお家で遊んでお金儲けをするざんす。そういえばこの小説の中に歌詠みさんも出てきますが、そうやって俯瞰しながら、能力ある方は歴史を書きとどめておくのもよいかもしれません。

 

まあ栄枯盛衰っつか栄華を極めたらあとは落ちていくだけなんよね~。たぶん令和の時代は、前の時代に華々しく生きていた人たちはどんどん零落、零泊していくことでしょう。令和のレイはレイラクの例。でもねワタクシいつも思うのはありし日を嘆くのではない。「だっていい思いだってしたんでしょ?」ってことなんだよね。鼻高々な日々過ごしたわけだし。

 

ワタクシいつも思う。中庸というか真ん中人生が一番安全だろうな~と。そしてその真ん中人生に於いて「なんでも一生懸命」に挑戦して、やってみてそれが成功しようが失敗しようが、自力独力でやったことが充足感の幸せに通じることだと思うんだわさ。他人からお仕着せの人生貰って楽しいか?他人が敷いたレールの上を走って満たされるか?ってね。

 

 

どんな時代でも、一番悲しい人生というのは棺桶が見えている頃に後悔ばかりして愚痴ばかり言って、嘆いて最後を台無しにするという生きざまだと思うのだよ。これはね、残される人もそういうの見ると「むちゃくちゃ苦しい辛い」んだわ。というわけでここ御覧の皆様、令和は「やりたいことやっちゃおう!」ということで本日は〆。皆様ごちそうさまでした~。

 

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以上、2018年1月23日と2019年5月3日の日記より。

 

与太話、所詮四歳児ですからーと前置きして。

私のブログや日記は殆ど訪れる方がいないので、勝手な事が書けるなあとしみじみ(決して自虐ではありませんよw)。

なぜならば、何万人も読者がおられるような方は早々迂闊な事、述べられないですし。結局、予言としていることは、歴史の繰り返しサイクルということもあるので。

 

ただ、この石川淳の奇書『至福千年』、令和になってから読まれた方がいらっしゃれば、分かる人には分かってしまう世界の事を描いていますね。大きく時代が動く時というのは、実は新興宗教戦争といっていい時代でもあります。神なき世に神を創作し、そこに巻き込まれていった人々がその幻想と虚偽の世界に気付き、それがやがて大きな政変と社会の改革へと繋がっているという。

 

乱世で不確かな、未来の見えない時代に人々は形無き頼れる何かにすがりたがるわけですが、実はそれは各々が生み出した妄想であったという皮肉な結果に通じていきます。幻惑に金を費やす変わりに、現実的な飢えの問題を早期に解決すべく、人々が団結して打ちこわしが起こる兆しで小説は終わっています。

 

ピグで遊んでいた人はご存知かもしれませんが、アバター人形で遊べるアクションが沢山ありました。その中でもなぜか此処に江戸幕末の「ええじゃないか」踊りがあったんですよねー。るうのも何かにつけて、よく踊りまくっていましたw

 

『狂風記』は本当に今敏監督が存命だったら、映像化してもらいたかったー(音楽は平沢進で)。

 

AI時代が到来した後、人類は何をすべきかという問いも随分検討されています。

 

最後に未来からの挑戦と絡めての答えとして

 

 人が、人間として生きて行くには?という問いの答えが、各自に求められていくと考えております。