あう~と驚いたこと!いえね、先々週いつもの狩場(注:リアルがよく出向くフリマ会場)でゲットした愛らしいタンポポの綿毛のボタニカルアートが描いてある陶製リップミラー(口紅に付けて持ち歩ける携帯鏡ね)の事。一般の家族が出してたブースでごちゃまぜ袋の中にあったの。タンポポの綿毛って視点がとても珍しいなぁと思って買う=50円(^O^)/そして驚きの事実…。

 

 


 陶磁器の部分に小さくサインがあるのでこれを手掛かりに検索すると、この植物画の画家は太田洋愛氏というのですが、ななななんと!古代ハスの大賀一郎博士に才能を認められたお弟子さんだったの。大賀ハスと大賀博士はリアルがアメブロでブログを書いたご縁がある!つかこれも引き寄せだね。蓮と運営さんとるうのの科白の人、全員に大感謝です!

 

 

 

 

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以上、2019年3月11日の日記より

 

 タンポポの綿毛の書き込みというのは、いつも読んでいるある方の掲示板だったかな?この日記の数日前にひょっこり一行だけ出て来て、ああそう言えば綿毛の絵の珍しい鏡があったなーと思い出したわけです。

 

 そして、この鏡の陶製の右下に細く小さくローマ字で Y.Ohta と書かれていたのを手掛かりに検索してみて、ああ、こういう縁なのかと驚いて……。

 

 そしてまたまた偶然(必然?)が重なり、この数ヶ月後、東京都練馬区にある植物学者、牧野富太郎記念館にて太田洋愛の企画展『桜』が開催されており、6月に訪れることになるとは……この日記を書いていた3月にはその兆しすら無かったのに……。

 

 ピグのちびっ子るうの、恐るべし(笑)

 

 

 

 

 太田洋愛のプロフィールは、写真のちらしの中の解説から抜粋すると、1910年(明治43年)、愛知県に生まれ、旧制中学時代に洋画に出会い学ぶ。1929年、旧満州に渡り、この地で大賀ハスの大賀一郎博士と出会い植物画への道を進むこととなる。この二人の出会いの後、太田は大賀博士から牧野富太郎へ紹介された、とあります。

 

当方のブログ 『大賀博士の夢開く 東京都町田市圓林寺(通称蓮寺)にて』

 

 植物画というのは、写真の無い時代、花の美しさを表現すると同時に博物学としての精緻な実態をも写しださなければならないため、採取されたひとつの花を多面的にどの角度からも見つめ、描き出す為、画家でもあり学者でもありという視線が必要とされるようです。実際に、直に太田洋愛の桜の絵を眺めると、細い針の先で輪郭を引いたような繊細なタッチと、光や影といった色彩を花弁一枚、葉脈一本をも異なるという姿で描き切っていました。

 

 牧野富太郎もそうですが、在野の学者にとって続ける情熱だけが最大の燃料であり、その意味を知っている人達だけが互いを励まし合うことが出来ると私は考えています。人と人との繋がりは、こういった関係では本当に重要な意味を持ち、後々の研究への縁ともなります。

 

 このちらしの中にある言葉、牧野が太田に「植物画を描くということは、労多くしてむくわれることの少ない仕事であるが、たいへん重要な仕事であるから頑張るように」と伝えたとあります。牧野自身も家族を含め、大変苦労してきた時代があり、その何気ない言葉の中に私は深い愛情を見出すのです。

 

 

 

 東京都練馬区 牧野記念庭園記念館 入口

 

 

 かつて武蔵野の広大な雑木林の中に在った牧野邸は現在記念館になっており、閑静な住宅街の中、彼が愛した多くの植物に囲まれ、緑の茂る小ぢんまりとしたオアシスのようでした。

 

 

 

 

牧野富太郎の自宅復元

 

 

牧野富太郎の銅像と周囲にあるのは

亡き妻の名を名付けた『スエコザサ』

 

るうの詠む

風吹きてかそけき音に振り向けば君が妹背の名をば囁く

(かぜふきてかそけきおとにふりむけば

きみがいもせのなをばさゝやく)

 

※大約-風が吹いて幽かな音に振り向くと

貴方の奥様の名前を風が囁いていましたよ

 

 

 ライフ最後のイベントは桜、桜の花は別れと新たな出会いの始まりでもありますね。ピグ友さんには本当にお世話になりました。あと数週間となりましたが、最後の最後の瞬間まで楽しめたらいいと思っています。ライフでの植物はどの花も、実も、果実も丁寧に愛らしく描かれていて、牧野博士だったら一緒に遊んでくれたかも、などと妄想してみたりして。