アメーバピグ スナップショット

 
 全部で14品ものごちそう、それも子供の日スペシャル(しかしこの日記を書いている時は既に終わっていると^^;)。皆様本当にありがとうございます。さて本日のコスプレは『風と共に去りぬ』♪ターラーララーン(←タラのテーマ)のスカーレット・オハラ嬢でござる。6日のGW最終日に放映されておりましたので途中から懐かしく見たわよ!
 
 青春時代からを含め何度見たかこの映画。見る度にそれぞれの人たちの感想が成長と共に移動していくという、不思議でそして不変的な物語ざんすね。見る度思うのは「あ~やっぱりお美しいヴィヴィアン様。」おへちゃなリアルとるうのが麗人ヴィヴィアン様と似ているのは『ヘの字眉』だけでござる。それも左側だけクィッと上げるのだ。
 
 しかしワタクシは『風共』に関してはそんなにマニアなファンでは無い。なんか穿った見方をしてしまうので(~_~;)。素直に「あ~レット素敵ィィィ(ハートマーク)」とか「ああ二人は何故結ばれないの」などといったボバリスム的感想は全く持たない。かなり成熟してからこの原作本を読んだのだが、映画と異なる箇所が多く戸惑ったものだ。

 
 人種のメルティング・ポットであるアメリカでは歴史的な背景を含め現在では色々問題視される内容もあるだろう。しかしなんちゅーか、やっぱり女手ひとつで(この長編を)書き上げたっていうのが、アメリカらしいなーと思う次第である。ウィキペディアによると作者マーガレット・ミッチェルは最終項を書いてから、物語を構成したとある。なるほどーと思ったわ。
 
 そういえばこの物語、版権切れてから別作家による続編が書かれたが…。うーん、作者の本音としては「レットとスカーレットはこの後二度と会う事は無かった」じゃないのって。つまり最終項の別離決定打を書いてから、二人の過去に戻るという書き方をしているとは、作者の脳内には(二人の間に)一粒たりとも愛情の残留を残さなかったのだと。
 
 しかし何が凄いって、この映画の公開が1939年ですよ。太平洋戦争前。よく言われる当時の日本のお偉い方々やら映画関係者が秘かに見て度肝を抜かれたという…。リアルの知り合いの逝去された日系アメリカ人の御婦人は戦前、この映画をアメリカ本土で観て「面白かったわ」と我が母に語ったという。つまりもうこの映画があった時点で日本の負けは決まってた。
 
 平成生まれのワケシ(注:茨城弁で若い衆)には理解不能だろう(~_~;)。つまりテレビの無かった時代に映画は国策としての宣伝媒体のひとつであったのだ。映画一本にどんだけお金が掛けられるかっていうのがその国の資産力や技術力含めトータルで国家としての威力を判断することが可能なのだ。そんでもってこの年の日本映画、キネ旬一位は…

 長塚節原作、内田吐夢監督の『土』だったんだ(と今知る)。まあ農奴扱う広大な農地とその矛盾やいずれ起こる農地解放やら小作人やらの根底に流れる問題意識は風共に似てるっちゃ似てる。これはもうユング博士の言うシンクロニシティだなぁ。それプラスこの年の日本映画では『愛染かつら』が完結していたとは。これもシンクロっぽい。
 
 そして驚いたのなんの。メラニー演じていたオリヴィア・デ・ハヴィランドがまだ御存命だったとは。あと2ヶ月経過したら御年103歳ざんす。(注:日記を書いた月が5月だったので無事お誕生日を迎えたオリヴィア様!)なんかこういう他愛もない事もこの映画を不滅の名作にしちゃっているような感想を抱いてしまふ。ヴィヴィアンが短命だったからこそ対をなしていたオリヴィアが長命っていうのも神話となる逸話だわね。

 
 ヴィヴィアン・リーのウィキペディアを読んで思ったのは時代が早すぎたかなという率直な感想。昔は女優で既婚者で、そして夫はサー(Sir)の称号を持つ有名俳優だとしたら、私生活も仕事も一緒くたになりやすくて彼女の気が休まることが殆ど無かっただろうなーと。今の様にメンタルケアの場も多くなかったし。演じた役から抜け出せなかった。
 
 さて先にも書いたけれど、この映画の面白いユニークな所は、見る人たちが成長するに従って考えがどんどん変化していくという事なんだけど。映画や原作にとっては作者冥利に尽きる幸せな人生だと思ふ。大人になった今では結論として別離があるから、というわけでは決して無いのだが、率直に言えばこの二人は「どっちみち別れるよな~」と。
 
 逞しい女には何故かヘタレ男が吸い付けられる。ヘタレは一時は改心するがマインドはいつまでたってもヘタレなので(~_~;)。レットがヘタレかどうかはさて置いて、カップルの法則としてはこの二人は常に綱引き状態なんだよね。だからどちらかが力を抜けばもうそこで試合は終わる。根無し草のレットはタラの大地に負けちゃったのだ。
 
 映画の後半では既に夫婦としての絆も崩壊していたんだけどさ、子は鎹(かすがい)で繋がっていた綱引き状態も愛娘ボニーの死で全てが終わるという。ここで召使のマミーがメラニーに言う科白が悲しい。スカーレットは辛さに耐えられるがレットは無理だと。これはもうオスとメスの違いを端的に表していて大人になるとズキンと痛みが走る。
 
 弱まった男にはもう単に休ませて放置しておくのがベストなんだけどさ、やっぱり上手く行かなかったのは最後に強さを引き出そうとして失敗しちゃったという駆け引きの末路かな。最後に涙した乙女なファンも多いだろう。
 
 
 しかしワタクシ、もうババアになったこの年に見て抱いた感想は「なんだこのカメオは?」という斜め上の発見だったのよね。
最終場面、別れる黒衣の彼女の胸元にバカでっかいカメオブローチが。幼稚園の子の弁当箱サイズだわさ。思わず脳内『おべんとうばこの歌』が響く。
 
 
 このブローチだけ取っても国策としては完璧だわねと変な感心する。さて翌日リアルはスカーレットの如く女の逞しさを実体験。寝ないで田舎の竹林開拓。脳内タラのテーマで切り抜ける暴挙で御馳走様でした!
 
*************************************
以上、5月9日のピグ日記より
 
 まあ、あいもかわらず勝手な事言ってますが、所詮4歳児のタワゴトですからと前置きして。
 
 黄金週間の昼間に放映されていた映画『風と共に去りぬ』。あの長編を一気に見せるとなるとこういう長期休暇に当たる時じゃないと無理なんですね。数多の伝説とエピソードのある、たぶん全世界の人の中で8割ぐらいは知っているであろう超スペクタクル、歴史ロマンな映画ですが。
 
 日記にもあるように今回は途中から見てしまったのですが、やっぱり「すげーわ!」
 
 細かい場面でも唸る唸る。音楽も交響楽団ですし、大人目線で何度も何度も「お金かかってんなあ」と凝視してしまって(←やーねー)。
 
 今回、日記を書くためにウィキ他、チラチラっと流し読みしていたのですが、天下無双の美の結晶時代の画像とは逆に、私の心を捉えたのが中年時に撮影された写真のヴィヴィアンでした。
 
 
 日本版ウィキでは 《1958年にロンドンで撮影されたリー。》 とだけ記されていますが、カメラマンはRoloff Beny。英語版ウィキによるとヴィヴィアンの夫であったローレンス・オリヴィエの友人でもあったようです。
 
 自らの中に巣食う得体の知れない『何か』に抗うこと無く、受け入れ周りの人々に放出し、病となってもなおその『何か』が美を形成している姿。
 
 無責任な言い方になるかもしれませんが日本的な『あはれ』を纏って、哀しくもまた美しい。彩度の高い色は重なり合えば合う程、混ぜれば混ぜるほど、最後はモノクロームになっていく。それはまるで彼女の人生そのものの美しさではないか、と。