当方のブログに何度も登場するツクモガミ様。モノというのは人を選ぶというが、モノから見えるその人なり、というのもある。

 今回のモノ談義はそういう類に入るのかどうか、と前置きをしておいてから進む。

 

 骨董、古道具を確固たるポリシーを持ちながら集めるコレクターとは違い、私の場合、出た物勝負というか、これまた雑食系と称していいのだろうか。極めてマニアな人達から見たら「なんですか、それ?」という集め方をしていると自負する。要は自分が楽しけりゃいい。だから、古物商泣かせというか―お高い物は買えません、の姿勢を貫く。この先、澁澤栄一が何十人来ようとも(まあ在り得ないがね)変わり物には福来るを見出したいと思っている。

 

 さて、海外では亡くなった人々の『普通に生活していた遺品』をそのままボランティアに出したり、チャリティーに回したり、商売として売り買いしている《エステート・セール/Estate Sale》というシステムが普及している。日本でも最近は片付け屋と呼ばれる人たちがあちこち広告を出している。人によってはそういう再生利用を厭う方もおありであろうが、歴史という観点から眺めるとたかだか20年位で道具の使い方が分からない世代が生まれてくるのだ。現に平成生まれの若者たちに黒のダイヤル式電話やLPレコードやカセットテープを渡してみると、使用法を正しく理解出来る割合は少ないであろう。古物とは時代の橋渡しの役割も兼ねる。また昔という時間の証人でもある。

 

 では、ふりだしに戻りツクモガミの古物、今回はデッドストックのクリスタルガラスの灰皿である。

 

 

 実はこれを手に入れたのは1年半以上前のことである。なにしろ元号が変わるなどというニュースが無かった頃だ。江戸風に申せば「いつもアスビに行く」フリーマーケット広場で購入。ただその時のことはしっかり覚えている。この日、目利きの人ならちょいと手を出してみてもいいかな、と思うような和物・中華骨董がかなり在った。

 おそらく、これらの持ち主は同一人物であり、上記に連ねたように遺品整理であったと即座に推測できた。威勢のいいお兄さんの声「まけるよ」の一言で慌てて幾つか袋詰めしてもらった。

 この灰皿は四方擦り切れた紙箱の中にあった。横浜で生まれ育った私にとって船、特に大型の船舶というのは身近な存在である。お洒落な観光都市のイメージが強い横浜港だが、それはほんの一部。大半はコンテナ貨物船が行き交う仕事場としての港湾である。

 

 自宅に戻り、この灰皿に記された『KIMIKAWA MARU』についてネットで調べると中々興味深い事実が判明した。

 

 君川丸、この船としての人生(というのか?船魂というのか?)はすこぶる数奇な運命である。詳しくはWikipediaの『君川丸(特設水上機母艦)』にあるが、初代軍艦であった君川丸は1944年、今のフィリピンと台湾の間にある海峡で撃沈されている。

 

 私が手に入れた君川丸は、この灰皿の印字(1952)にあるように1951年竣工された二代目貨物船である。この品は1952年に処女航海を記念して会社および船舶関係者に配られた非売品であろう。持ち主は一度も使うことなく箱に詰めたまま、亡くなられたわけである。

 

 二代目君川丸もまた初代と同じ運命を辿り、1972年にパナマに売却された2年後に座礁、沈没している。

 

 君川丸のウィキペディアを読み返して(軍艦オタクではない私が)心に引っかかった記述があった。それは艦内神社について、である。

 今でも海外含め大型船や漁船、海に携わる仕事には特殊な魔除けやシンボルが掲げられている。戦前の君川丸の場合、ウィキペディアにあるように川崎市にある稲毛神社が分祀を行っている。地図で調べると川崎駅のすぐ近くである。調べた直後、これはいつかお参りを…と考えてはいた。が、のろまな亀の歩み人生。令和になった五月にようやく訪問した。

 

 

 やはり訪れてみなければ分からないことがある。神奈川県民である私ら家族は、この神社の横を頻繁に車で通り過ぎていたのだ。駅から徒歩で約5分。到着してみて思わず笑いが込み上げる。道路側から見たこんもり茂った小さな森の中に川崎稲毛神社はあった。

 

 

 神社境内でひときわ目に付いたのが、まだ新しい対の狛犬たち。現代アニメ調の表情豊かでひょうきんな風貌をしている。作者は薮内佐斗司氏、あの奈良の『せんとくん』を作った御方である。

 

 

 

 

 

 

 さて令和になってから初めての神社訪問。この目的は『君川丸』の帰還である。私は神道の流儀にさほど詳しくはない、が、御魂ということが大切であることは知っている。タマフリ、タマガエシ、タマシズメ…。今は亡き初代、二代目の魂を新たに呼ぶという意味も兼ねてここを訪れたのだ。これは何と呼んだらよいのだろうか。失われたタマを呼ぶ、タマヨビ・タマヨバヒなのか、それともタマカエリなのか。

 

 私ごときにはそのような力は皆無である。しかしこの灰皿を得てからどうしてもこれを持って参拝したいという願いだけはあった。そして、終わった後になぜか安堵した。

 

 

 

 そして後日談として。

 安心安堵の上に寝っ転がってお気楽に過ごして約一ヶ月経過。ブログを書くことを延期し続けて昨日に至る。六月一日の午後、ベッドの上でゴロゴロとスマホのニュースを眺めていると、AIが流してくれた『艦内神社』の文字が…。うわぁぁと思わず姿勢を正してタイピングに数時間費やし、今ここに記す。

 

 「よーそろー!」