まだ前回から1週間経っていないけれども、ここのところのロシア語学習に関してのメモ。
○『まいにちロシア語』4月16日学習事項より
1.ロシア人の名字には同じ家族でも男性と女性で語末の形が変わるものがある。
2.ロシア人のフルネームは、名前、父称、名字の3つの部分から成っている。
親しい間柄では愛称形、敬語を使う間柄では名前に父称をつけた形で相手を呼ぶ。
1について「男性と女性で形が同じタイプの名字もあります」とあり、その例として、Плющенко (ふりがなは「プリュシェンコ」と書かれていた)が挙げられていた。
CDでは発音練習だけだったけれど、ラジオの本放送では、先生がもうひとことくらいなにか言っていたのかな?
プルシェンコ選手のフルネームは
エフゲニー・ヴィクトロヴィチ・プルシェンコ(Евгений Викторович Плющенко)
愛称は ジェーニャ (Женя)
(表記はWikipedia より)
『ロシア語のしくみ』(p91)によると、ジェーニャは(サーシャ、ユーラも)男性にも女性にも使える名前だとか。
愛称プラス名字だけだと男性か女性か判別できないわけで、名は体を表すというか、なんとなく中性的な雰囲気は名前からも伺えるのだなぁと思ったことでした。
で、フルネームから、お父さんの名前はヴィクトールなのね、と分かった。
女性の場合はどうなのか、やっぱりここは、イリーナ・スルツカヤ選手で、練習(?)してみよう。
彼女のフルネームは
イリーナ・エドゥアルドヴナ・スルツカヤ (Ирина Эдуардовна Слуцкая)
愛称はイーラ (Ира というつづりでいいのかしら?)
ということは、お父さんの名前はエドゥアルド。
もし彼女に兄弟がいたならば、その人の名前は
○○(知らない)・エドゥアルドヴィッチ・スルーツキー になる。
(ということでいいのか? 自信ないんですけど…)
あ、スルツカヤ選手はご結婚されてるから、今は名字が変わっているのかな。
それにしても、お父さんのことが嫌いだったりすると、名字プラス父称で呼ばれるのはいやなものだろうなと、ふと思った。
日本でも自分の名字が嫌いという人はいるから、同じようなものか?
お母さんが再婚して名字が変わったら、やっぱり子供の父称も変わるのだろうか。
事情により父親の名前は伏せているという例はありそうだけれど、その場合、子供の父称はどうなるのだろうか。そんなことは許されないのか?
などと、疑問がわいてくるところでは、ある。
○『まいにちロシア語』4月16日学習事項より
1.ロシア人の名字には同じ家族でも男性と女性で語末の形が変わるものがある。
2.ロシア人のフルネームは、名前、父称、名字の3つの部分から成っている。
親しい間柄では愛称形、敬語を使う間柄では名前に父称をつけた形で相手を呼ぶ。
1について「男性と女性で形が同じタイプの名字もあります」とあり、その例として、Плющенко (ふりがなは「プリュシェンコ」と書かれていた)が挙げられていた。
CDでは発音練習だけだったけれど、ラジオの本放送では、先生がもうひとことくらいなにか言っていたのかな?
プルシェンコ選手のフルネームは
エフゲニー・ヴィクトロヴィチ・プルシェンコ(Евгений Викторович Плющенко)
愛称は ジェーニャ (Женя)
(表記はWikipedia より)
『ロシア語のしくみ』(p91)によると、ジェーニャは(サーシャ、ユーラも)男性にも女性にも使える名前だとか。
愛称プラス名字だけだと男性か女性か判別できないわけで、名は体を表すというか、なんとなく中性的な雰囲気は名前からも伺えるのだなぁと思ったことでした。
で、フルネームから、お父さんの名前はヴィクトールなのね、と分かった。
女性の場合はどうなのか、やっぱりここは、イリーナ・スルツカヤ選手で、練習(?)してみよう。
彼女のフルネームは
イリーナ・エドゥアルドヴナ・スルツカヤ (Ирина Эдуардовна Слуцкая)
愛称はイーラ (Ира というつづりでいいのかしら?)
ということは、お父さんの名前はエドゥアルド。
もし彼女に兄弟がいたならば、その人の名前は
○○(知らない)・エドゥアルドヴィッチ・スルーツキー になる。
(ということでいいのか? 自信ないんですけど…)
あ、スルツカヤ選手はご結婚されてるから、今は名字が変わっているのかな。
それにしても、お父さんのことが嫌いだったりすると、名字プラス父称で呼ばれるのはいやなものだろうなと、ふと思った。
日本でも自分の名字が嫌いという人はいるから、同じようなものか?
お母さんが再婚して名字が変わったら、やっぱり子供の父称も変わるのだろうか。
事情により父親の名前は伏せているという例はありそうだけれど、その場合、子供の父称はどうなるのだろうか。そんなことは許されないのか?
などと、疑問がわいてくるところでは、ある。