「サラリーマンと軍人は同じ種類の生き物だ」
その理由は、
必要なくなったらただの穀潰し
このメッセージは、まだ20代の和佐大輔からだ。
伊井兵衛は、ほんまにこの人を師匠と思って
「創造的破壊クラブ」に入った。
※ 和佐さん談
平和な時代に、大規模な軍隊が必要ないように、
サラリーマンも、経済成長しない時代には、無用の長物と
化してしまいます。
しかし、「人間」ですから、無用の長物だろうが、
穀潰しだろうが、簡単に切り捨てることは出来ません。
特に、日本のサラリーマンは、簡単に解雇出来ない。
ってことは、企業にとっては、売上が下がって行く状況では、
二重の苦しみになるわけです。
売上が下がっているのに、社員を減らせない、と。
ハリウッド映画ではありがちですが、軍人が集まり、
テロを起こす理由は、「祖国に裏切られた」という、
要は、リストラへの復讐だったりします。
「命をかけたのだから、それだけの見返りを」という理屈ですね。
でもね、これって結局、最終的にはヤクザなわけで(苦笑)
確かに裏切られたのかもしれないし、ポイ捨てされたのかも
しれない。
でも、それも全部含めて、自分で変化に対応して生きないと、
「誰かのせい」にしても、しょーがないよなー、と思うのです。
自分の人生に起こる変化が「自分でコントロール出来る」なら、
それはもはや、神の領域です。
自分ではコントロール出来ないからこそ、僕らは現状に甘んじて
何かを妄信してはいけないわけで、常に変化に適応出来る人間に
なるべく、考えて生きていくべきだと思います。
仮に誰かが、
「あっちにオアシスがある」と言って、それが蜃気楼だった
としても、その「誰か」を責めても、状況は何も変わりません。
まして、相手が「時代」だったとしたら、それは、全人類が
「責めるべき対象」になるので、これは辛い(苦笑)
自分 vs 人類
ですから。
魔王にでもなる必要がある。
古くて寝ぼけた1部上場企業に所属していた時には出会えない、
凄すぎる、20代30代の「昭和の生活をほとんど知らないアラサー」がいる。
この人たちと融合すると、
昭和生まれのオヤジ達も
新しい人生が開けてくる。
※ 和佐談 つづき
「ドリフターズ」という漫画では、人類に絶望したキリストが
「黒王」となって、人類滅亡を目論んでいますが、
それが出来るなら、やればいいですよ。
でも、出来ないでしょう?
不可能なことにチャレンジする精神は、ライト兄弟も認めて
くれると思いますが、それなら、もっと別のチャレンジを
したほうがいい。
「誰かのせいにする」というのは、ただただ不幸なことです。
報われないから。
これからどんな変化が待ち受けているのかは、誰にもわからない。
だって、世界は誰かにコントロールされているわけではないから。
また、完全なる支配者がいるとしたら、そいつが遊んでいる
だけだとしたら、それはもう、人知を超えていますから(苦笑)
どーしよーもない。
「神はいるのか?
神がいるとしたら、なぜ世界は完全ではないのか?」
こんな問いは、もう何千年も繰り返されていることです。
世界が不完全なのは神のせいだとすれば、神もまた不完全であり、
不完全であるということは、神ではない。
神でもない「何か」に、世界の完全性を期待しても、それは、
そもそもとして、不可能なことである。
最初から問いの立て方が間違っているのです。
誰かのせいにするのではなく、
「現状をより良くするために、自分はどう在るべきか?」
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という、自分への問いを常に立て続けることです。
失敗した責任や、間違った責任を負う必要はない。
自己責任ではなく、自己探求をすればいい。
答えは永遠に出ないでしょう。
だって、僕らは完全ではないから。
でも、だからこそ、自分自身に問い続けるのです。
「より善く生きるにはどう在るべきか?」ってことを。
「善く」とは、自分の感覚でいいわけで、もしも、
「誰かの感覚」に合わせたなら、それは、向上心を失った
植物人間のようなものです。
だって、世界が不完全なのに、人間ごときが、完全な定義を
することなんて出来ないから。
そして、「より」「善く」だから、模範は乗り越えて行くもの
なのです。
自分の目で見て、耳で聞いて、触って、味わって、匂って、
色々なものを参考にした上で、自分が思う生き方をすればいい。
そして、その「自分の考える生き方」を伝えればいい。
もちろん、相手に強制するのではなく、
「俺を参考にして、より善くなってくれ」という想いを込めて、
です。
悪い参考でもいいじゃないですか。
「反面教師」なんて、素晴らしい言葉が在るわけですから。
だから、正解なんてどーでもよくて、好き勝手に生きることが
何よりも重要なわけです。
変化に適応する力も、結局は、自分が好き勝手に生きる力と
同じです。
誰かの価値観の毒されて、変化にも適応出来ずに、生きていたら、
必ずどこかで、いや、もう既に「誰かのせいにする根性」が
染み付いてしまっています。
だって、自分の人生の主導権を握っていないわけですから。
「主導権を握られている感覚」に慣れてくると、それは、
「いつでもなんでも誰かのせいに出来る」という、不幸な
発想に繋がって行きます。
一見してみると、被害者意識が強くて、被害を訴えた方が、
どっかの国のように、莫大な保証金をぶんどれるので、
「被害者面」は、良いことのように見えますが、
そんな人生、楽しいですか?
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交通事故をしたとき、「誤ってはいけない」なんて、
クソみたいなことを考える大人が、より善い世界を創れると
思いますか?
率先して謝ればいい。
だって、自分「も」ぶつけたのだから。
お互い謝れば、余計なコストはないわけです。
これから変化がもっと激しくなった時、被害者面した奴らは、
全員、不幸のどん底に突き落とされますよ(苦笑)
だって、時代の変化に被害者面したら、
自分 vs 人類
になっちゃうから。
勝てない、報われない、嫌われる、味方がいない。
ああ、そりゃ、黒王になっちゃうわ(苦笑)
と、まあ、つらつら書いてしまいましたが、とにかく、
変化に強くなりましょう。
変化を前提として生きましょう。
「小さな変化」は、誰かのせいにも出来る。
でも、「大きな変化」は、そんな場合じゃない。
2013年~2018年、どうなるか楽しみですね(笑)