1.著者は、都立大の研究者。本書は現在の日本経済が陥っている長期の経済低迷について、従来の欧米起源の経済学のモデルで分析するのは限界がある。モデルを適用する前提が成り立っていない、との分析結果を提示し、従って、別の解決方法を適用することにより従来とは異なる政策インプリケーションを導き出そうと試みている。その結論を一言で簡単にいえば、貯蓄主体となってしまった企業部門から家計部門に所得を移転する必要性ということになる。要するに、賃上げが必要だと主張している。経営者サイドからは、賃金引上げのためには生産性の向上が必要、とか、日本の労働生産性は低い、とかの主張がなされていて、我々もよく耳にするところだ。

 

2.本書はまっこうからこれを否定し、現在の日本の賃金は生産性を大きく下回っている、と強調。そして、貯蓄投資バランス、政府と企業と家計と海外の各部門のバランスを合計すれば、定義的にゼロとなる貯蓄投資バランスから説き起こし、企業の過剰貯蓄を家計に移転することを賃上げをもって実施すべき、との説だ。この観点からすれば、海外投資は家計も企業も貯蓄主体となった国内の余剰資金を海外で使うひとつの手段だが、実際には殆ど収益を上げずに失敗している可能性が高い、とデータ分析の結果から結論。そして、伝統的なケインズ政策のひとつである財政拡張についても限界まで試みられたものの、結局効果は薄く、金融緩和も最後に資源価格の高騰からインフレを招いた、と批判。当時の黒田総裁による異次元緩和は「微益微害」だった可能性を示唆している。

 

3.国内では企業は貯蓄主体となって銀行借入をせず、貯蓄主体となった企業が内部留保を積み上げる中で、企業の持つ貯蓄は配当としては家計には流れない。家計の金融資産は銀行預金が大きな比率を占めていて、家計による株式保有が少ないからだ。そして、ボーナスを通じた家計への企業貯蓄の配分も滞っている。これが3つの構造的なズレであると本書では指摘している。即ち、繰り返しになるが、(1) 貯蓄主体となって銀行借入をせずに巨額の利益を積み上げる企業部門、(2) 銀行預金に偏重して株式保有が進まず、企業貯蓄を配当で受け取れない家計、(3) ボーナスによる利益配分を行わない企業、その上、人口減少と急速な技術革新が事態を複雑にしていると主張。

 

4.まず、企業の銀行借入については本書でも望み薄としている。それなら、ということで、家計の株式保有を進め、ボーナスによる企業利益の家計への配分を拡大する、ということなのだが、これらの処方箋は本書を待つまでもなく、今までにも何度か主張されてきたところであり、実現していないのは余りにも明らかだ。本書では、最終章の第7章でいくつかの方策を提示しているが、実際の効果がどこまであるかはやや不明であるとしか、いいようがない。最後に、本書では表現はともかく、モデルそのものはクリアなのだが、例示が極めて理解しにくい結果になっている。本書の主張は極めて明快で経済学的には正しい方向を向いていることは十分理解できるが、それをどう実現できるのか、政策レベルの議論がまだ不足している。