OL時代、お人形のように可愛いくて、苗字の前に“ドール”の愛称つきで呼ばれていた後輩がいました。
彼女のすべすべした白い肌はまるで陶器のようだし、
パッチリとした大きな目は、くるりとカールした長いまつげに縁取られていました。
女性の私でも見とれてしまうような彼女のキレイは、
生まれ持ったものが大きかったのかもしれませんが、
それだけではないことを、社内の誰もが知っていました。
なぜなら、彼女は、いつも、数十分に1回は鏡を見て、
髪の様子からお化粧の崩れ具合まで綿密にチェックしていたから。
少々髪が乱れようが、お化粧が崩れようが、彼女は十分にキレイで、
そんなに鏡を見なくても、安心して仕事をすればいいのに、と思っていた人は少なくなかったはずですが、
鏡を覗き込む彼女の表情があまりに一所懸命で、
ある種の執念さえ感じられて、誰もそれを言える人はいなかったんです。
彼女は当然、あまりお仕事ができませんでしたから、影でいろいろ言う人もいましたが、
本人を前にして、それを言える人も、やっぱりいませんでした。
それぐらい、彼女のキレイさは突出していました。
彼女がOLとしてどうだとか、人間的魅力がどうかという話は別にして、
やっぱり、“キレイ”にはなにか大きな力があるんだな、と感心したものです。
私が退職した数年後、彼女も結婚退職しましたが、すぐに離婚してしまったそう。
けれど、モデルのような外国人と楽しそうに歩いていたとか、
ピカピカの高級車に乗り込む姿を見たとか、その後も風の噂をいくつも聞きました。
一度だけ、彼女とロッカールームで二人きりになったことがあって、
お化粧直しする横顔を見つめたことがありましたが、
その真剣さといったら、声をかけるのをためってしまうほどでした。
彼女は、自分のキレイさを百も承知で、なおかつ、さらに磨きをかけるために、
日夜真剣に努力しているのだと分かりました。
彼女はきっと、キレイの力でこの先も楽しく生きていくに違いありません。
そして、彼女や彼女以外のたくさんのキレイな人を見ていて気づいたこと、
それは……
“キレイな人は、良くかがみを見る。”
ということ。
そういえば、「太った人の家には全身が映る鏡がない」という記事も、何かの雑誌で読んだことがあります。
人間は、見たくないもの、認めたくない事実を、知らず知らずのうちに避ける傾向があるのだそうです。
まずは、「鏡をじっくりと見て、自分を良く知ること」が、キレイの始まりなのかもしれませんね。
それから、
……とずいぶん長くなってしまったので、「鏡でキレイになるとっておきの情報」は、また明日聞いてくださいね。
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