私が感謝している人=小学生の時期に天命を自覚させてくれた人!
5歳で母親を亡くした私は、酒乱の父親と2人で6畳一間のアパートで暮らすことになりましたが、45才でパートナーを失った父は、酒を飲んで仕事も休みがちに…。
仕事を休むだけではなく、5歳の私を家に置き去りにしてパチンコへ行き、夜遅くに帰って来るほど混乱してしまいました。
父親が勤める会社社長のおくさんが、そんな状況の私を見かねて引き取り、育ててくれたのです!
私の親戚は、みな私を引き取るのを拒んでいたのを子供ながらに見聞きして、私は『邪魔な存在なんだ』という認識をした記憶が残っています。
一方で、施設に入れなきゃならないところを、それじゃ可哀想だからと、「私が預かって育てる」と言ってくれた父の勤める会社の奥さんに、祖母が号泣しながら「お願いします。お願いします。」と、泣きじゃくる姿を見て、怖くなった記憶もあります。
父は鳶職人なので、預かって貰った会社には、職人さんが10人以上、寝食を共にしていました。
その奥さんは私だけでなく、身寄りのない社員が病気になったとき・亡くなったとき、入院手続きから葬儀の世話まで、親族以上の世話をしてくれるような情の熱い方なのです!
名前も愛子。その名を体現したような方でした。奇しくも、私の亡くなった母親も愛子です。
血のつながりはありませんが、育ての親と実の母親が同じ名前というのは、不思議な縁を感じました。
その方のおかげで、私は周りの人へ家族のように接することが当たり前だと思って生きてきました。小4ぐらいの年齢で、私は「おばちゃん(その奥さん)」みたいになることを密かに決めていたことを覚えています。
周りの人の話を聞いていると、親兄弟との関係が上手くいっている人の方が少ないように感じます。
ドラマや映画で見るような人情物語を実体験出来た私は、血のつながりとは関係のない、深い人間愛を身につけることが出来たわけです。
今でも【感謝】という尊い心の栄養が、私の身体を血液のように循環しています!
とかく足りないモノに目が行きがちな現代社会は、「有るのが当たり前」という認識が不満を起こしている気がしてなりません。
失ったモノ(母親)があった「から、こそ」有り難みが身に染みる体験をすることが出来たのですから。
私の心の中心軸に、感謝という太い柱を建てられたのは、愛子さんたちのおかげです。
「当たり前」では得られない「おかげ様」!
感謝の種(タネ)は、目の前に起きた「良いこと」「悪いこと」という単純なモノの見方からは得られない、「育った果実」なんだと私は思います。
父含めて、私に関わってくれた全ての人のおかげで、今の私に仕上がりました!
全てに感謝です。ありがとうございました。
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