日本はいまだ、白洲次郎のジープウェイを走っている。

 

民主主義は、まだまだ繭の中。


だから、その解釈は不安定。

 

 

これって、大日本帝国憲法と同じ現象。

 

日本国憲法と法律の”建付け”はいいものの、

根幹である”民主主義”については、その解釈がまだまだ不安定。

 

なぜなら、民主主義の根幹である、”心の豊かさ”が一般化していない。

 

 

だから、一国の首相が、イエス・キリストの顔に泥に塗るような新興宗教とつるんでしまう。

 

これでは、大日本帝国憲法の”信教の自由”を捻じ曲げて、

国家神道を作り出した、戦前昭和のバカボン政治と変わらない。

 

令和と戦前昭和は、よく似てる。

 

 

 

免罪符を売ってる中世カトリックと一緒なのに、よくつるめるな。

 

”天網恢恢疎にして漏らさず”とは、いいえて妙。

 

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多数決が、民主主義?

 

”心の豊かさ”を知る人たちが、多数決を取ることに意味がある。

 

 

多数決は、あくまで”手段”。 目的ではないのよ。

 

日本の民主主義は、手段が目的化している。

 

公道のコーナーで、”くの字”に曲がるためにハードブレーキするのと同じなんだよな。 てへぺろアサッテ

 

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とはいえ、共産主義の防波堤になってる今は、安易に”心の豊かさ”を一般化できない。

 

安易にやれば、ゆとり教育と同じミスマッチを引き起こす。

 

白洲次郎も知っていたくらいだから、キリスト教圏では常識なんだと思う。