夏休みに帰省してきた孫たちにあげるお小遣い、お年玉の夏バージョン。
こちらは『元気玉』でお返しだ。
皆さんこんばんは、お元気ですか?
(^^)
広島の同時多発土砂災害。行方不明(と分かった)者が新たに増えているそうで、大変なことになってます。
宅地として山際ギリギリまでに開発された、脆い土地。おそらくこの災害をきっかけに、地盤の硬さに関わらず全国にある同じような地形の土地の価格が下落するのでしょう。
災害から一日が経ち、今日もニユース番組で放送されていた当該地区。レポーターは「道路に溢れ出た水は昨日よりも幾分か引いたようで...」と話します。確かにそうなのでしょう。
けれども、朝よりも昼。午後よりも夕方になるにしたがい確実にその濁りを薄め、厳しい残暑、強く傾いた陽射しに光る山からの流れは、そのレポーターの足元をサラサラと通りすぎ、通りすぎながらも何かを言いたげな姿に見えるのです。
とても静かに。でも忙しなく。
「これが世界の在り方よ」
「残念だけど、謝らないわ」
「ほら、急がないと次がまた来るの」
そんなふうに。
早々に仕入れた被災者の逸話を流すことで報道機関は何を伝えたいのか。「こんな可哀想な話ってある!?」と今、言われても僕はそれをどう受け止めるべきか悩んでしまう。
見つからない友人の救出を少し離れた側から手伝う高校生たちの夏休み。泥まみれで汗まみれで、涙まみれ。彼らの夏休みは「楽しい」という形容詞をたっくさん付けて、延長システムとかできるのだろうか。
せめて、再起動とか。
避難指示勧告の遅れを問うことには遺憾。早い空振りならそれはそれで責められる。わざと遅らせた訳じゃないことくらい誰にでも分かるのだから、だったら次は君がマイクを握れ。
まさかの避難者宅を狙う空き巣!?。我々は、きっとどこかで道を誤ったのだろうか。幸せのカタチも夢のカケラも、文化文明という名のマヤカシなのだろうか。
災害は、誰も悪くない。
悪くはないが、それだけじゃない。
物事は、良いか悪いかだけじゃない。

このお盆期間に、3箇所の墓参りに行ってきました。
ひとつは、当時の僕のアルバイト先の先輩で29歳の夏に逝った女性。とても気が強くて厳しくて、本音はちょっと苦手だったんだけど。でも自分の仕事には責任とプライドを持って臨むとても素敵な女性でした。翌年に結婚を控えての他界でした。
もうひとつは、僕が本当の祖母のように慕っていたおばあちゃん。お忙しいご家族に代わって僕が病院に送り迎えさせてもらったり、最期に言葉を交わしたのも僕でした。小さくて可愛らしい、賢人と言えるおばあちゃんでした。
そして、母の。
線香のかおりって、どうしてあの匂いなんだろう。いつもそう思う。
一年が過ぎて、濁りが少しずつ薄れるようにサラサラと流れて出ていってしまう。塞き止めようとするには大きなチカラが必要で、決壊とともに溢れるのは、もう同じようなもの。
だからやっぱりサラサラと、清らかに。
それがいい。
陽射しに煌めく目映さに目を細めれば、もしかしたら見えるかも知れない。聴こえるかもしれない。足元をサラサラと通り行く証しに、言っているかも知れない。
「これが世界の在り方よ」と。
「残念だけど、謝らないわ」と。
「急がないと次がまた来るの」と。