果物屋のテラス(後編) | ihsotasathoのブログって言うほどでもないのですが

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twitterで書いたことをまとめたりしていましたが、最近は直接ココに書き込んだりしています

 我々は列車を降りて動物たちと別れ、無機質な白い壁のホームに降り、切り抜いただけの飾り気のない扉を抜け、横道の無い不可解な通路や階段をひたすら前に進んだ。あまりに長い通路なで主人が「まだでしょうか」と退屈を訴えたが、エージェントは申し訳なそうな顔で「まだ三分の一も来ていません」と返すのみ。申し訳なさそうな顔もそれだけ上手くできれば謝罪係りはあなたで決まりだ。
「わかりました」
 主人はそう答えて気合を入れ直す。犬も踵に力を込めた。二人は近所の丘や草原を散歩して人知れず脚力を鍛えている。長歩きは得意と言って良い。これで四分の一程度だとしたら余裕で目的地に辿り着けよう。しかしながら今回の問題は脚力ではない。変わらない景観の退屈さが問題である。エージェントが言うように前へは進んでいるしゴールも近づいているものの、ここは頭に残る刺激が少なすぎる。移動距離に比べ体験が乏しい。
 更に無口で歩く事十五分、主人は本格的に飽きたと見え「まだでしょうか」と口調を強めて訊く。だがエージェントは申し訳なさそうに「半分は過ぎています」と言うだけ。それから階段の上ったり下ったりが黙々と繰り返される。これではまるで拷問だ。
 そういえばここには拷問部屋みたく窓がない。これではこの通路が地下のままなのか地上に出たのか、それこそ海の中なのか宇宙なのか判らない。今までの上下移動を全て足し合わせたいところだが、上下しすぎて最初よりも上ったのか下ったのかも判らない。
 さて、いよいよ暇になった犬はこの愛想のない廊下について考えてみることにした。例えば犬が一生懸命走り続けていたとして、そのとき犬は周りの景観をどれほど気しただろうか、みたいに。
 一生懸命走っている時は危機状態に近い。ほとんど周りなど気にできない。気にできる程の余裕がある時は一生懸命ではないのだろう。要するに一生懸命走っている時は興味深い景色があろうとなかろうと「気にしない」のだろう。結局このふたつの行為の差として、一生懸命走っている時は目的が見えていて、今の我々は目的が見えていないという点が肝心な違いではないか。勿論移動するための最低限の景観はどちらも必要としているけれど。
 今の我々はゴールや道のりを知らない。知っているのはエージェントだけ。だから我々は仮に一本道だったとしても彼がいないと目的を持てない。故に暇を持て余す。景観からもその情報を得られないのでますます、暇になる。そこで仮に、エージェントと犬が一体化したとする。そうすると忽ち、一生懸命走っているときと同じ条件になる。ゴールと道のりが犬にも見え、犬はひたすらそこへ向かって進む事ができる。そうなってくるとその過程の景色はあまり重要ではなくなる。むしろ移動する距離に見合った体力が犬に有るか否かの方が問題になる。
 いやいや、一生懸命走る何て事は長くは続けられない。我々は疲れたら足を緩める。そうなると嫌が応なく景色を見る機会を得てしまう。もし目的を覆してしまうような何かを目の当たりにしたらどうだろう。新しい道を進み始めるかもしれない。今我々の行くこの道は少なくともそうした期待を持たせてくれないが、景観に彩りがあったのなら、目的変更や道草を食うなんて事も有り得ただろう。
 あるいは別の見方もできる。あえて他の選択肢を提示しない事によって本来の目的を見失わないようにする手段がこれだと。
 さっきも考えたように我々には体力の限界がある。一生懸命走り続ける事などできない。途中で休みもする。そうすれば今までは気にしなかった周囲を気にするようにもなる。でもそこで目的を見失ってはならない事態もある。だから事前に、他に関心が向かないよう過程の彩りをすべて、削ぎ落としておく。
 そういった意味では、このつまらない道には、転換を許さない非情さもあれば、目的を忘れさせない優しさもあると言える。しかしながらどうして、こんな話になったのか。
「着きました」
 犬があれこれ考えているといつの間にか着いたようだ。駅を離れて初の選択肢。その扉が男の横の壁にある。
「私の案内もここまでです。一本道だったように見えて実は迷路のようになっていたのですが、気付かれましたか」
「そうなのですね。よくわかりませんでした。まるで一本道でした」
「それはシステムが正常に動作しているという事です」
「システム、ですか」
「はい。ではまた帰りにお会いしましょう。ここからは草原さんと犬さんだけでこちらにお入りください。この先の部屋でよいつむが待っております」
 認証装置に専用のカードを翳し扉を開けると、男は軽く会釈しながら「こちらです」と言うように手のひらを差し出す。
 扉の先にはこれまた長い廊下がある。これまでの通路もそうだが、果たしてこの街のどこにこんな空間を用意する余裕があると言うのか。犬はこの街の懐の深さに感銘を受ける。
「なんと」
 けれどもその直後、実は案外移動していないかもしれない事に気づく。黒い空間へ向かって廊下を歩いたつもりが、主人の驚嘆が示すようにどうも、おかしいのである。歩く感覚で足を動かすと走るよりも早く視界が移ろい、あっという間に闇の中なのだ。
 歩いているつもりが走っている時よりも速く動いてしまう。体の使い方がわからなくなる。主人は急いで後ずさりし、足を止めた。
「感覚がずらされると厄介だ。普段無意識に行っている体の動きが悉く、意識に引きずれ出されてしまう」
 そう喋ったは主人ではない。いつの間にか見知らぬ男が主人の横に立っている。匂いが全く変わっていないところからして本当に彼はそこに居るのか、犬は大いに疑問である。
 そしてそんな我々はというと、宇宙のような暗い場所に浮いている。けれども星らしいものは周囲に見当たらない。背後にぼんやり光の矩形が見え、それが遠くにあって如何にも心細く光を注いでいる。ただその光のおかげてぼんやりと主人の姿が判り、男の姿も判った。男は暗い色の背広を着て、その風貌からして若くないようだ。
「どうしてこのような事が」
「草原さんと犬さんが会話できるのと同じ理屈で、感覚野にお邪魔して実際に感じている内容に色づけさせてもらっています」
「そういうことですね。しかしながら、やりすぎです。実際のお姿を見せていただくことはできないでしょうか?これでは私が裸にされていやらしい事をされても、気づく事ができません」
 男性の方からため息が聞こえる。
「そのように思われては私としても嬉しくない。では景色だけ仮想にして、人物は実物としましょう」
 男の姿が横から消えると途端、場面は明るくなり、広くて明るい日本庭園が現れる。
 晴空の日差しを受けて白光する随所の玉砂利。真ん中に大きな池。左右には岩場の盛り上がりがあって、松や皐月が疎らに緑の蟠りを造っている。松の枝葉は堅苦しくなりすぎないワイシャツの緩みや皺のように適度な雑味を残され、各々が様々な角度で空を目指すよう練られていた。その形にどれひとつ同じものはない。それぞれに使命が与えられ、それぞれに誇りがある。皐月は丸く形成されて岩場の硬さを幾分和らげている。岩場の影や木の根元には苔が蔓延っては、岩の硬さを柔らかい凹凸で包んで優しい。
 龍のひげで縁取られた砂利を隔て、手前一面に平たく芝が広がる。その真ん中には大きな紫色の蛇の目傘があり、木造りの傘立てに差し込まれて開いている。その陰で休む着物姿がひとり、厚手の木製の椅子に腰掛け、こちらに背中を向けている。藍染の着物と短めの髪型からして男性だろう。先ほどまで横に立っていた背広の男よりも幾分痩せている。池の方を向いているため顔は判らない。
 主人と犬が恐る恐る足を動かそうとする。その男は今までの所業から察したのか、耳元で囁くように「今は普通に歩けます」と語りかけてきた。姿は遠くに見えているのに近くで聞こえるから薄気味悪い。システムの全てを止めたわけではない、という事だろう。
 芝を踏みながら蛇の目傘までやってくると男性は立ち上がって挨拶する。
「初めまして、よいつむです」
「初めまして、草原草子です」
 傍らの椅子に座るよう男に促され、主人はザックを椅子の横に立てかけて帽子をその上に置き、席に着いた。椅子が軋む音。それは本物としか思えない。
 その男は先ほどまで果物屋一二三で働いていた男性だ。着物の上に藍色のエプロンという形である。そして胸元に「情報屋四五六」の白い文字、果物屋のエプロンとデザインが同じだった。
「なるほどそういう事」と主人はその男の顔を見て笑う。そんな事で主人が笑うとはなかなか珍しい。世間では今頃、地球に衝突する隕石が見つかったと発表されているかもしれない。
「ネットで何度も押しかけてすみませんでした。それからこちらは、」
 犬は主人に示されたので、お座りして挨拶をする。
『はじめまして、犬です。主人がいつもお世話になっております。それにしてもすごい技術ですね。この限りなく実物に見える幻覚。ものすごい計算コストがかかっている』
「視覚については視線を追いかけていて、届けたい部分だけ精緻にしています。それができると案外計算コストは安くて済むんです。見ている人が多くなると確かに大変になりますが」
「犬の言葉がわかるのですね」
「ええ。私も頭に入れてます」

 この男が何者なのか、それを説明するのは簡単ではない。ただ一つ言える事は、我々が翻訳機と呼んでいるそれを作ったエンジニアであり、その手の話題には詳しい人物という事。そんな彼なら意識についても詳しいかもといった発想にもなろう。主人が彼を気にしていたのも頷ける。
「もっとお年を召していると思っていました」
「確かに若くはないのです。アンチエインジングの処方を受けて、おそらく死ぬ間際までこの見た目でしょう。脳を衰えさせないための処置が目的です。このような立場になると死ぬまで意識を明晰にしておく迷惑な賞与があるのです。こうしてピンピンしたままあと五十年は生きられるそうで」
「そうでしたか。そういうことになるとは。実際には八十くらいとかですか」
「どこかで調べましたか。八十八です」
「見た目は三十くらいですね」
「それはどうも」
「どうしてよいつむさんは果物屋を。老後の嗜みとかですか」
「ずっとやってみたかったんです、果物屋。匂いですかね。色合いですかね。自然の作り出した鮮やかさや甘さというものに憧れがあって。副業として始めました。ただ、去年まで妻が生きていて店を手伝ってくれたものですから毎日開店できたのですが、あいにく去年大往生しまして、それで今は私が不在になると店を閉めています」
「ロボットなんかに番をさせては」
「それは確かに。あくまで老舗面した人対応に拘るのは結局、歳のせいかもしれません。ところで草原さんも随分お若く見えますが、アンチエイジングを?」
「いいえ、私は年相応です。この犬は処方されておりますけれど。私と共に生きられるように当時の医者たちが勝手にそうしてしまいました」
「そうですか。おや」
 顎にてお当てて目を細めるよいつむ。硬い表情になる。
「ひょっとしてこの犬」
『私の顔に何か書いてあるわん』と犬。
「そうか。そうなのか。あなたが人適用のプロトタイプ、その勝手な医師達の一人が私、ということか」
 主人は頷く。犬はなんの事だか正確に理解していないが、恐らく、よいつむは犬の首輪を見て古い翻訳機だと知り何かに気づいた。今までの主人の言葉からして、よいつむは我々の頭の中の機械に所縁のある人物ということらしい。
「君の手術を指示したのは私が六十八のときです。だから君はもう二十歳を過ぎたのだね」
「はい。お陰様で」
「本当は、そう本当は、二十歳を越えられないと思っていた。けれどもこうして元気でいられるという事は、正直私にとっては喜ばしい事だ」
「そうかもしれません。それは喜ぶべきなのでしょうね」
 表情を変えない主人を見て、よいつむは顔を曇らせる。
「ひょっとして君は余計な事をされたと思っているのだろうか。そのあたり興味がある」
「いえ。この犬共々今に生きられて本当、良かったと思います。いえいえ、そういってしまうと取引ができません」
「取引?」
「はい。私の死亡届と引き換えに、先生の満足と名声に貢献したのです。私の簡単な質問に答えるという軽い恩義くらいには是非とも、報いてほしいものです」
「私は憎まれているのか好かれているのか」
『犬が言うのもなんですが、主人はよいつむさんを尊敬しているわん』
「だとすると君の主人は相当にひねくれ者だ」
『それはお察しくださいわん』

「意識について詳しく知りたい、ですか」
 よいつむはそう呟き、一度席を離れ、空間に開いた黒い矩形に消えると、暫くしてから盆を持って戻ってくる。果物屋一二三の果物で作ったというミックスジュースのグラスと平皿がその盆にある。よいつむはグラスを主人に手渡し、平皿を犬の前に置いて席に着いた。
 犬は平皿一杯のミルク色の液体を嗅ぎ、甘みに負けて早速舌を回す。甘酸っぱい香りと味で口や鼻が幸せ一杯になった。主人も一口含み「あっさりして爽やかですね」と一言。口を綻ばせた。
「バナナを少なめにして桃を多めにしたんです。苺やマスカットも少々」
 盆を自分の椅子の足に立てかけて解説するよいつむ。嬉しい感想を聞いたにもかかわらず顔色は悪い。「意識について」の回答を予見させる。
「ここに入れるために最も問題だったのは、意識がどうのこうのという問題ではないのです」
 よいつむは自分の右こめかみをつんつん突く。
「頭に入れる半機械のエネルギー源をどう確保するか、拒絶反応をどう回避し、親和性をどう保つのかが問題でした。意識の調整については経験的に、若い脳に施すのであれば大雑把な繋がりでなんとかなってしまう。生命のいい加減さというのは全くもって神秘です。それに対し半機械が脳の代謝を狂わせない範囲でエネルギーを拝借するとか、生命が自分を守ろうとする仕組みを逆手の取るなどはとても難しい話なのです」
「そうなんですね」
「ええ。そのために多くの寄生虫研究が生かされました。彼らがどう宿主と折り合いをつけながら生き延びていくのか、それが半機械に求められた演目だったわけですから。私も意識についてどうこうというよりその寄生させるための技術についての方が専門で、そちらに貢献してきました。意識の事は自然界の神秘に委ねたままというわけです。でもまぁ、ネットで会話したように何故意識が働くのかについては興味とするところで、多くの学者もその核心に迫りきれずやきもきしています。ただやっぱり意識の問題となると、胡散臭いわけです。あるいは大海原を旅する海賊扱いです。宝探しするロマンチストみたいに。王道は機械学習のための計算方法だったり、その応用だったり、洗練化だったり、学習するためのデータの質だったり」
「はい。それでもこの謎に迫らずにはいられません」
「確かに。意識の存在を正確に理解する事は我々が長らく抱いてきた世界の歪みを取り除く、あるいは糺すというべきでしょうか、その意味において重要だと思っています。例えば意識の解明の延長で神がどう意識されるのか説明されたら、宗教対立をリセットできるかもしれない」
「それはどうでしょう。いかなる場合でも、ある考えを受け入れるか否かは結局、本人の意思に委ねられます。頭がいいか悪いかなど関係ありません。それが理路整然としていても、それが実際に正しかったとしても、その人が或る目的の口実として、正しい事とは別の何かを心に据えしまったら、それを捨てようとはしないものです。人にはそういう”機械的なところ”があります。だから話はそう簡単ではないのです」
「確かに、言い過ぎた。希望と持ちたいという話にとどめておこう」
「はい。大切なのは今ではなく常に向かうべき方角という話ですね。私はそういった意味で歓迎です。何にせよ死んでいない限り何もしなくても我々は意図せず動いてしまう性ですから、どこへ向かうかは常に意識しないといけません。これは自由落下という意味ではなく、意思の有り様としてという意味です」
「ふむ」
 池の中からゆっくりと「竜宮の使い」が伸び出し、体をくねらせながら「泳いで」青空を目指す。このテラスの演出だろう。次に何が出てくるのか楽しみになる。
「さて、そろそろ本題に移ろう。前にも草原さんが話していた決定と決定されない、というか決定と確率が同居する話。あれを詳しく聞かせてもらえないか。私が草原さんと話してみたいと思ったのも、これを聞いてみたいと思ったからなのだ。どんな人か興味を持った、というのもあるけれど」
「回答は得られなくて残念ですが、こちらも議論をしてみたいところでした。ですが、それには少し時間がかかりますし白板のようなものが欲しいです。数式を使ったほうが解りやすいところもありまして」
「それなら少し待っとくれ」
 彼は再び立ち上がり、開けた黒い矩形に入り込むと、みっつの端末を持って戻って来る。ひとつを主人に渡し、ひとつを犬の前に置いて、ひとつをよいつむ自身が持った。ついでにグラスを置く小さい丸テーブルも持ってきた。主人はそこへ飲みかけのグラスを置き、端末を両手で持った。
「このペンで画面をなぞると線が描ける。画面はみっつで共有されているので自分の画面に書くだけでいい。ペンはここにくっついているのを使う」
 そうして主人がペンを取り、解説が始まる。
 まずは犬がいつも主人から聞いている意識の話。犬は主人の語りに新しい事実が出てきていないか確認する意味を込め、耳を欹てた。主人の声はいつもより硬い気がする。慣れない相手だと犬は緊張するが、主人もそうかもしれない。口撃の対象となる事を恐れているのだ。
 犬は文字が読めないし数学の記号なんてのも解らない。だから主人の語りから数式の意味を拾い上げてゆく。それにしてもこの画面に綴られる主人の数式。久しく見ていなかったが実に、尊い。このようなものを見ると熟、人間の脳と手という器官を羨ましく思う。
 そういえば主人に「書けることの羨ましさ」を伝えたことがあった。それに対し主人は、古代文字を見る私の気持ちに似ていると言った。「文字は何かを記録するために真剣に綴られた場合もあるし、徒らに書かれたものもある。いずれにせよそれを書いた人なりの生活がその形に”うつって”いる。意味は解るに越したことはないが解らなくても構わない。その文字をなぞるだけで彼彼女らと時間を共有できる。ただ確かにそれだけでは彼彼女らの心を知ることはできない。それゆえに悔しさと尊さが渾然一体となる」主人はそう言った。
 今主人が書いた数式はこれから説明する内容と関係があるらしい。「エスいち」と読んだそれは確率密度で、ある概念の塊のようなものを表す。それが複数の確率密度の積(パイと呼ぶらしい)とイコールで結ばれている。それら複数がどこから来るかはあえて定義しない。また、確率密度の個々の要素はインテグラルという記号を前に据えている。その確率密度は全て積分されると或る概念になる。主人はその下にもう一つ等式を書いた。「エスいち」が「エスに」と等号で結ばれているものだ。「エスに」は「エスいち」とは異なる確率密度の積から成ると言った。
「これがこれから説明したいことを表している式になります」
 よいつむが眉間にしわを寄せ、右手のペンをくるくる回す。その時の指とペンの仕草が不思議な律動を持っており、犬は見とれた。
「なるほど、これではさっぱりわからないが、聞いていくうちにわかるのかな」
 よいつむのリクエスト通り、意識される内容の確定と確率に関する話題に移っていく。主人はこれらの関係式があらゆるスケールを跨いで透過的に扱いたいと説いた。物理学でいうなら大統一理論のようなもので、数学でいうなら圏論で計算構造を整理していくようなことかもしれないとよいつむが補足する。
 意識は脳の仕組みからして確実に或るスケール以下を再現できないにもかかわらず、そのスケール以上の内容を決することができる。そのメカニズムは脳の神経細胞のみならず、「微小な範囲から広範囲に至るまで」に見られる物理現象で共通になりえないかと考えているようだ。
 主人は最初に量子の奇妙な振る舞いを取り上げた。本来物質というものは空間的を「完全に埋めてしまうものではない」が、観測するとその表面が塗りつぶされているように見える。これが物質の持つ確率密度そのものを表していると言った。
 そもそも「完全に埋めてしまうものではない」は隙だらけであるという前提がないと理解しがたい。普段我々が物を見る時、向こうが透けて見えるなんてことは起こらない。ガラスなどは物質の性質上透けて見えるがこの意味とは違う。物質は空間に何かを充満させる形で占拠していないという事である。何かが運動することによりその場所を徘徊しているのである。
 とにかくニュートリノのようなごく小さい粒子は地球のような厚さがあってもいくつもすり抜けてしまう。それだけ物質には何もない部分が多い事を示している。そんな隙間ばかりの物質が塗りつぶされて見えるというのは、我々の意識が物質のそれを捉えているのではなく、何か別のものを捉えているからだと考える。それを主人は確率密度と言った。そして「我々には主体的に観測する能力が備わっており、その観測の過程で存在の可能性を絞り込む。そう考えると都合がいい」とも言った。
 犬にはよく解らなかった。よいつむも首を振ったがとにかく続けてと言われ、主人の話は続く。
 視覚を例にとって主人は話を進める。主人の考えによると、同じような物質から放たれたエネルギーにはそれ固有の属性が、或る確率密度で広がっている。この視点は量子規模に見られる不確定性とも親和性がありそうだ。そしてこのエネルギーが集まると確率密度の範囲が絞られていくのだが、それは沢山の標本を集めて特徴を絞り込んでいく事に似ている。ちなみにこの絞り込みでは、観測で利用する媒体の確率密度以下にその像の精緻さを上げる事ができない。この限界のため、或る細かさよりも狭い範囲は何物にも分別されず同じ内容の確率密度で占められたままになる。物理事象としては本来、ただ一点に決まる事象かもしれない。けれども観測から得られる結果は広がりを持ったままとなる。一方で同じ位置から放たれたものが複数の箇所にまたがって集められてしまうと、その内容を表す確率密度の範囲が拡大し結果、像がぼけてしまう。内容が重なり合ってしまうとはっきりと象れなくなる。それは目の悪い状態で物を見る時や、急速に動いている対象が線のように崩れてしまう事と同じ理屈で起こる。これらの理屈は視覚だけでなく他の感覚に対しても適用される。聴覚であれば音の高さが、味覚であれば酸味や苦味が、嗅覚であれば物質依拠の匂いの質が、触覚については温度や圧力が、それぞれ「位置」と組み合わさって確率密度として、つまり広がりを持ってしまった内容として、表される。そしてまた時間軸方向にもその確率密度は適用される。同じ時間を示す区間があり、その区間は同じ内容の確率密度で塗りつぶされる。
 主人のこの主張に対しよいつむは逆に捉えるべきかもしれないと加えた。空間的に同一を意味する区間があるとそれを同じ時間とみなすような見方である。時間が後にあり空間の事象が先にあるというのだ。またよいつむは、この考えは効果器にも適用できそうだと言った。小指と薬指を分けて動かせないようなことは適切なスケールで分離できていない例として取り上げていた。犬にはわからない感覚だが、主人は同意していた。
 話は戻り、「主体的に観測する能力」とは何者か、という話題に移る。これが常に集まってくる確率密度と位置の情報をせっせと演算しては、意識全体を確定している事になるので重要な存在だった。ただその候補を既知の物理法則から探すとなると案外、限られてくる。熱力学第二法則に基づくエントロピーの増大が有力候補らしい。
 しかしながらこの段階ではそちらの説明には向かわず、主人は「いかなる規模においても起こっている」点に着目して説明を進める。
 量子のスケールであれば確率に乗せやすい。それは先に示したように量子のスケールでは不確定性があり、これと確率密度の話を対応付け易いからだ。一方それよりも大きいスケールだと確率を当て嵌めずらい。我々が通常認識する規模の物体や記号が、確率密度であると言われても疑問である。そしてそれが神経細胞や脳でどう実現されているかも当然、想像できない。よいつむも同じ感想を持ったようで「そもそも主体的に観測する能力」が「いかなる規模においても起こっている」を「確率密度を使って」どう説明するのか、主人に訊いた。犬もその答えに興味があった。
「それに答える前に、認識やその再現が絶対的ではない事と確率の関係について補足させてください」
 主人がそう言うと、池からダイオウイカが二匹飛び出し、空に向かって悠々と泳いでいく。主人はそれを見送って説明を続けた。
 我々の神経細胞や脳は機械仕掛けではなく生物の気まぐれもあっていつも同じ状態を具に再現できない。仮に同じ「1」という記号を認識するにせよ、書くにせよ、様々な物理状態の再現性の無さと格闘しながら受容や再現を進める事になる。ある種の変位が許容された中で「1」も認識されているし、確定もされるし、再現もされる。ではその「変位」を被覆する時空間をそのまま、確率密度という概念に対応付ければいい。主人はそう考えたようだ。それを占める時空間全体を積分すると数値上は「1」になるよう定義されている。これに対して「意識される何か」という意味では、脳に注がれた様々な内容の確率密度が「なんらかの概念」へ積分された事に相当すると言う。何かに決定されたように思われるのはその積分が脳の中で完結したと考えるようだ。
 どのように完結するかは後で出てきたがその前に、確率密度を表す時空間と変位の関係について主人は補足する。
 算出される過程で影響したであろう「変位」はスケールによりさまざま考えられる。観測する対象そのものであれば、例えば同じ記号を認識するといった場合、書体の違い、筆跡の違いなどが「変位」の例として挙げられる。それを許容して脳に注いだ後という意味では、神経細胞を構成する分子の、神経伝達物質の、経過する神経細胞の違いといった気まぐれが「変位」になる。更にそれを再現するという意味では、筋肉の調子などにその「変位」が宿る。ただこの変位がその全ての経路において、確率密度の表す時空間に収まっていて、その積分が「意識される何か」ならばいずれも、確定されたある概念として完結される。
 主人はこうした例を踏まえ「任意の概念」は次のようなふたつの仕掛けにより、スケールを超えて完結すると説明した。そしてそれが脳の中で「言語」や「記号」というスケールフリーの概念、つまり情報と呼べるものに完結する事により整理されるとも言った。
 ひとつは「或る源から提供された或る内容の確率密度が、それとは異なる源から提供された或る確率密度と区別できないような事態」が訪れる事で起こる。このふたつの内容はそれぞれ異なったスケールの事象を本来、表している。更にこうした「区別できないような事態に陥った内容が、なんらかの形で一巡して元に戻る事態」もあるという。前者を「規模推移」、後者を「規模巡回」と主人は表現した。そしてそれらが脳で起こっていて、だからこそ「任意の概念」を固定化できると言った。
「それは規模巡回に規模推移を経て収束する感じなのかな」
 よいつむが画面に横向きの真っ直ぐな矢印を書き、そこに丸をくっつけた。
「収束はしないでしょう。ただ様々な内容の確率密度がその経路にあり得ます。例えば先生が示した経路はなんらかの平均的な経路と言えます。でも実際には、確率密度がそのまま推移していきます。そしてその中でどの確率密度よりも絞り込みが進んだ内容がなんらかの閾値に達した時、意識に上るのだと考えます。この時、他の概念を表す確率密度とより被覆しない形になれば我々はそれを決定したような心地で扱えるようになります」
 主人はよいつむの書いた線の周りを斜線で編み掛けする。その編み掛けされた範囲であっても、それが他の概念とある程度重ならないようになっていれば、或る決定した概念のように見なせるようになると言ったようだ。
「意識されるための確率密度の閾値というものがあるのか。それはなんらかの物理定数を持っているのだろうね。新しい定数が登場するかもしれないわけだ。この網がけに相当する幅を規定する何かの」
 犬はこの時、次のようなことも考えていた。この中には「自分」という内容を表す確率密度も立ち現れてくるのだろうと。そしてそれとは別の内容の確率密度が、規模推移や規模巡回によりこの「自分」を表す規模巡回に巻き込まれていくと。それから或る範囲の積分は「自分」を決める確率密度を包含する形で、それよりも広い「世界」という概念を形作るかもしれないと。
 規模推移は認識の過程で記号に落としこまれる経路も提供する。そしてその規模巡回はその記号へ結ばれる「観測」やその記号から送られる行動を含んだ「再現」とも結びついていく。規模巡回は一つの巡回経路を形成するわけではなく、巡回経路は様々な分岐と集約の繰り返しを伴う。
 この前提を説明した後、主人は「主体的に観測する能力」がこの「規模推移」と「規模巡回」が複雑に繰り返されていく過程で「あらゆる規模の確率密度が巻き取られ」互いが互いを補完し合うように、互いが互いの誤りを正すように、様々な規模における確率密度がしかるべき範囲に資源が分配されたら、より効率的に知識を活用できるようになると言った。
「なんとなく様々な規模にまたがるところは見えてきたが、主体的に観測する能力というのは結局、何だろう」
 よいつむの言う通りである。犬は主人の言葉を待った。
「或る範囲に留まろうとして、エネルギーの流れを円に近づけようとする傾向だと考えています。分子の中の電子の軌道であったり、分子間の結合と分解の繰り返しだったり、神経伝達物質の解放と回収だったり、神経細胞を巡回する信号だったり、受容器で得てそれを効果器で再現してそれを受容器で得てというような事も」
「それらが主体的に観測するためのリズムを編み出しているわけだと」
「そういう表現がいいのかどうかわかりませんが、そういう事だと思います」
 ある内容の物理現象が熱力学第二法則の宿命でエントロピーを増大させたとする。しかしそれらは所詮満遍なく世界を埋めているわけではなくある限られた時空間でしか独立していない。一方、巨視的に見ると、そうした時空間が散在する事になり、所々でエントロピーを増大させようとするもの同士の衝突が起こる。その境目で巡回だったり交換だったりといった事態を生み「規模巡回」のきっかけが作られる。
「うーん。なんとなく言いたい事はわかってきた。それを数式に整えていきたいわけか。でもまー、そうやってあらゆるスケールの事象をまたいで透過的に扱えるようになったら、この規模までできたら意識が出てきて、この規模までなら学習可能みたいに分類できて、人間のような意識を持てなくても学習は人と同じくできるなんて証明もできるかもしれない。そうなったら面白いね」
 よいつむは困った顔をして頭を掻いている。主人はちょっと残念そうだ。
 
 ずいぶん長く話した。ミックスジュースも空になり、池から空へ向かった海洋生物も何種類だったか分からない。一番大きかったのは白長須鯨ではなかったか。彼はの甲高い歯切りしのような地声を鳴らしつつ空を目指した。それから、恐らく三葉虫と呼ばれる古い生物も出てきた。果たしてあのような泳ぎ方だったのかと大いに疑問が残ったものだが。
「そろそろ御暇しようと思います。今日はありがとうございました」
「私も楽しかった。ありがとう」
 主人は席を立って帽子をかぶり、ザックを背負う。主人とよいつむが互いに向き合って握手すると、出口はこちらですと言うように黒い矩形が少し先に現れた。
「ここは明るいままだけれど外は暗くなっている時間だ。帰りはタクシーで帰ってもらうよう手配させよう。遠慮はいらない」
「ありがとうございます」
「ただタクシーまでは、来た時と同じエージェントと一緒に電車で最寄り駅まで移動してもらうので、また少し歩いてもらうことになる」
「構いません。熱冷ましなります」
「そりゃ、よかった、のかな」
「またこの街に来たら果物屋さんの方へ伺おうと思います。今度はちゃんとイチゴを買います」
「是非ともお願いしたい。全国を行脚して良い仕入れ元を見つけてきたのだ」
 よいつむは笑った後、少し顔を硬くして続きを語る。
「元気な姿が見られて良かった。また遊びに来て欲しい」
「ええ、その時までは、ちゃんとした数式で表現できるようになっていたいものです」
「いつになるだろうね。私は生きているかい」
「ええ、先生は生きていますとも。私の方が生きているかわかりませんけれど」
「やれやれ皮肉かい」
「いえ、ただ本当にそんな事ができるのか自信がなくそう言ったまでです。では、さようなら、先生もお元気で」
「さようなら、また会う日まで」
 そうして主人は差し出された黒い四角から外へ出ていく。振り返るとそこにはもうよいつむの姿は無く、長い廊下に変わっていた。
「いかがでしたか」
 声がした。送ってくれたエージェントが入り口の脇に立っている。
「ありがたい場所です。私たちにとっては」
「それは良かった。では早速参りましょう」
 そうして我々はエージェントに連れられ殺風景な通路を歩いていく。行きの時の長さは何だったのだろうかと思うほど、今度は直ぐ駅に着いた。行きのあの長さは我々の到着を遅らせた為にわざと組まれたのだろうか。まさかミックスジュースを作る為に時間を要したとかではあるまいな。
 そして例によって無機質な駅のプラットホームで待ち、列車に乗った。行きに見かけた動物はいなかった。彼らは今どこで何をしているのか気になったので、主人を介してエージェントに聞いてもらった。それに対してエージェントは「わからない」と首を振った。所長の秘書も務めている男である。本当は知っているのかもしれないが答えてくれないという事はそれなりの理由があるのだろう。
 電車は単線だったので同じ方向にしか動かない。我々も行きと同じ方角に向かった事になる。だがエージェントは次の駅我々を下ろした。どの駅のホームも見た目が変わらないので乗車した駅なのか否か見た目からは難しいけれど、犬ならばその臭いからどの駅か判別できる。確かにその駅は乗った時の駅のようだ。
 外に出るとそこは果物屋の隣ではない。少し湿り気の強い地下駐車場で、消毒液の臭いがする。タクシーがそこで待たせてあったので出口を変えたようだ。エージェントは時間も遅いのでこれで家へ向かって欲しいと言った。
「ありがとうございました」
 主人は頭を下げてお辞儀する。犬もそれに合わせて頭を下げた。
「いえ、お気遣いなく。またのお越しをお待ちしております」
 ところで今頃になって気づいたのだが、主人が変に元気そうな格好をした理由が解った。要するに主人はよいつむを心配させたくなかったのだ。それを主人に訊いて答え合わせをしてもいいが、間違っていたとしても合っていたとしても、どうせ本当の事を言わないだろう。だから聞かないでおく。次に同じ格好をして出かける事があればよいつむに会うのかと言い当てて驚かせればいい。
 我々はタクシーに乗り、運転手に行き場所を伝えると、見送るエージェントに向かって再度頭を下げ、地上へと出た。とっくに陽は沈み、ビル明りやLEDで賑やかだった。
『街の明かりは久しぶりに見るわん』
「これも幻の類かもしれない」
 主人はタクシーの窓から外を眺めながら頰に手をつき、ため息をつくように言った。主人の頭の中は数式でも駆け巡っているのだろうか。その視線は街よりもさらに遠くを見ている。
「せっかく街に来たのだから、味噌煮込みうどんでも食べて現実を確認しましょう」
『いいわんねって、犬が誘われて喜ぶ料理でもないわん』

終わり
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数式のイメージは以下のようなものです。架空のものです。

汎用的な表現:




規模推移:




規模巡回: