情報について考える3 | ihsotasathoのブログって言うほどでもないのですが

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twitterで書いたことをまとめたりしていましたが、最近は直接ココに書き込んだりしています

システムを区別するために統解分岐の指標があるように、システム間の作用もまた、影響が大きくなったり小さくなったりといった変化があると考えたほうが自然です。作用しやすいスケールやそうでないスケールを考えることができます。

例えば小さい粒子を考えるとき重力を無視できますが、太陽のように大きな星を扱うときは無視できなくなります。

こうした作用が「効いているのかいないのか」を分ける点は、システムの「統解分岐○○」にも影響すると考えられます。そもそもシステムとそれらの間で働く作用はさまざまな種類が考えられ、それこそ多段階を想像でき、ヒトはどうして区別できるのかやはり、不思議です。

健常であれば少なくとも区別することについて苦もなくできてしまっているわけですが。

そもそもこうした区別の為にはそれなりの「観測能力」が必要だと考えています。そしてその「観測能力」は観測しているシステムの性能に依存しています。ところでその観測能力、例えばその精度、には限界があるはずで、この限界は詳細に観察する事を敢えて避けてくれるので、区別しやすくする利点へ繋げてくれているかもしれません。

システムXが何かを観測する時、それは観測されるシステムAとの「何らかの相対的な違い」が効いて観測されていると思っています。そして観測される内容は、観測しているシステムXの性能に依存して決まり、観測しているシステムX自身が独自に定義した分類に従ってシステムAと特定されざるを得ないと、考えています。

これは絶対的な「統解分岐○○」で分類されたシステムAというモノは無いという事です。それは或る「統解分岐○○」と呼ぶものはあるシステムXの中だけでしか有効ではなく、別のシステムYではそのまま使える保証が無いということを意味しています。

それでもヒトというシステムの間で「共通認識」を持てる(持てているように思える)のは、ヒトそれぞれが同様の「観測能力」を持ち、観測した内容を共有できる、物理的制約を受け無い「情報」というシステムSを自らの中に備え、物理的なシステムAに依存しないシステムSとして「情報」を扱う事ができたからだと思います。この「情報」には「数学」や「言語」も含まれています。

そしてヒトは道具を介して観測可能な範囲を拡張している背景もあって、非常に広いスケールの対象を観測できており、より多くのシステムを「情報」として扱っています。

「情報」はそれ自身に様々な記号を扱うシステムが備わっていると同時に、ヒトが作った別のシステムを利用して運ぶ(保管する)事ができます。本だったり、光回線だったり、パソコンだったり、郵便だったり、電波網だったり、それは様々です。「情報」の流れるシステムが異なっていても、それぞれのシステムで表現される形式がわかっていれば適切に変換する事で「情報」の意味を変えないまま、伝える事ができます。

ところで、知りたかった事は「情報」と「意識」の関係です。

「情報」で表現される内容は、システムの「観測能力」に依存し、システム固有のものとして立ち上がります。「意識」はシステムの「観測能力」に依存して、その内容が自ずと決まると考えられます。

「情報」と「意識」で共通している事は「区別できた上での再現性」です。ここに「情報」と「意識」が相互に影響し合っている可能性が示されていると思います。

「感じたものが感じたものそのものであってそれ以外ではない」のが「意識」であって、それを別のシステムに対応付ける事によって再現したのが「情報」ではないかと考えます。これは「情報について考える」の冒頭で述べた私自身の考えを言い換えたものであり、特別な事であはありません。

ここまでは「情報」がシステムの「観測能力」(相対的な統解分岐○○が背景にある)に依存して形成された物として見てきましたが、「情報」の基本的な性質である「区別できた上での再現性の高さ」を保証した上で、「観測能力」を自由に調整し「区別できた上での再現性の高さ」の「区別できる内容」をこれまた自由に調整できる可能性を考えてみます。

こうした調整が叶った時「情報」はシステム固有の「観測能力」に依存しない汎用的な「情報」へと昇格させることができます。そしてこの時「意識」と呼ばれているものが汎化された「情報」という枠組みで考えた中のひとつの様式にすぎないと捉えることができたら「意識」が「情報」の一部とする解釈が成立する可能性が見えてくると考えています。

例えば「感じたものが感じたものそのものであってそれ以外ではない」のが「意識」であって、「感じたものが感じたものと対応する記号に置き換えた物」が汎化されていない、システム固有の「情報」だとすると、「感じたものが感じたものと対応する『何か』に置き換えた物」が汎化された「情報」と考えられ、この『何か』の中に「意識」そのものと対応付く『○○』を見つけられたら、「意識」は汎化した「情報」の一形態にすぎないという筋道を描けるという具合です。

「情報」は「時間」に流されずに保存できますが、「意識」はまさにその時だけ与えられた特別な物ですぐさま流れていきます。ですがそれは汎化された「情報」を扱う時に「意識」の流れに合わせて遷移させるなどして「等価」に扱えるかもしれません。

いくらか「情報」と「意識」が相互に関係している可能性を見いだせたと思います。

「次は汎化された情報がどんな性質を持つかという事かな」
『わんわん』
「具体的にはどうするの」
『観測精度、観測対象の性質、区別する事と区別しない事を同居させる、この辺りがポイントになりそうわん』
「つまり何も考えてないって事ね」
『ばれてるわん』